あまり記憶は確かではないが、浦島太郎が乙姫様と楽しく過ごした竜宮城での1日は陸の上の3年に相当していた。ほんの短い滞在と思いながら故郷に帰ったとき、何十年かの年を経たその地は、知る人も無い未知の村に変っていた・・・。それでは竜宮城での1日が陸の上の1万年に相当していたとしたら、浦島太郎は何をみることができただろうか。
地球の年齢は現在46億年と推定されている。一方、人類の年齢はというと、猿人といわれる時代を含めても400万年程度、これをかりに460万年としてみる。もし1億年を1mとした直線を描くと地球の歴史は46mという長さになる。それに対して人類の歴史の長さは僅かに4.6cm、いわんや現在の人類、あるいは我々のもっている記録された歴史の長さ1万年となるともうかすかな点でしかない。太陽系が生成された動乱期をすぎ,安定した地球上で、それでも1億年に一度、あるいは1千万年に一度というカタストロフィックな現象が起きたとしても、我々人類が遭遇できるチャンス?はまことに低いということになる。別の言い方をすれば,人類にとってそれはカタストロフィックな現象に見えるようなものであっても、地球の歴史の中では時折発生する多少大きな自然現象といえるのかも知れない。
1830年代、チャールズ・ライエルによって提唱された「斉一説」は地質学を中心に広く浸透してきた。「地質の変化は漸進的である。過去地上で起こった現象の説明には、現在地表形成に作用している諸力を考えれば十分であり、そのゆっくりとして着実な作用以外に何も必要としない。」この科学史的意味は別として、現在太陽系の歴史を考える規模と時間スケールに立ったとき、すなわち46mに対して4.6cmというスケールでは、現在我々の見たり、経験したりできる力や現象というのはかなり限られたものになる。 太陽系の誕生、そして進化の歴史において、天体の衝突が基本的な役割を果たしてきた。それは生命の歴史においても大きな影響を与えてきたことは十分に想像できる。というのは、地球上の生命の歴史は化石に見る限り38億年の昔にさかのぼることができる。したがって1億年に一度、あるいは1千万年に一度と言った現象であっても、そのような現象が起きているのであれば、当然幾たびか経験しているに違いないからである。
もちろん生命の進化が天体衝突だけに支配されてきたと言っているわけではない。生物種の絶滅現象は天体の衝突など持ち出さなくても説明できるとも考えられるし、筆者も個人的には地球環境の変動や、生物に内包される何らかの属性に起因した部分もかなり大きな要因であり得ると考えている。しかし恐竜を含む生物の大量絶滅が起こった白亜紀と第三紀の境界で、かなり大きな天体の衝突があったことが明白になった現在、その影響がどうであったかを十分解明しなければならないことは明らかである。すなわち、過去に起こった大小幾多の生物絶滅に、天体衝突が常に何らかの関係をしていたのだろうかという問題へのアプローチである。そのために何をする必要があるのだろうか。
1.太陽系における小惑星を中心とした小天体の分布とダイナミックスの解明。
2.地球周辺に接近する天体(NEO)の把握。
3.地球上で過去に起こった天体衝突現象(クレーターとできた年代)の確認。
4.天体衝突によって起きる地上の現象、あるいは環境変化の解明。
たとえばこれらの問題の理解が深まるにつれて、現在我々が手にできるささやかな衝突現象の証拠から、何十億年か遡って地上に起こった天体衝突現象と、それによって引き起こされたであろう地球上の変動を確実に推測することができ、その結果生物進化に関する認識を大きく書き換えることになるかもしれない。これらの問題にたいする研究はすでに各方面で着手されており、JSGAにとっても中心の課題である。
玉手箱から出た煙はいっきに陸の上の時の流れに引き戻してくれた。浦島太郎の場合にはたまたま人間の寿命の範囲であったから、おじいさんでとどまることができた。玉手箱を開けたとたんに数千万年後の世界に出現しなければならないとしたら。立ち上った煙が去った後には、今と変らない何世代か後の人間か、それともどこかの地層の化石がころがっていたということになるのだろうか。
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