岸辺に漂う椰子の実が、遥か南の島から海を漂って到達したものであることを聞かされた島崎藤村はいたく感動し、それがかの有名な「椰子の実」という詩に結実した。遥かかなたの火星なる天体を離れ、暗黒の宇宙空間で1億年を超える放浪の時を過ごして地球にたどり着いたささやかな石の話を藤村が聞いたら、どのような詩が生まれたであろうか。しかも南極の氷の中から収集されたこの石は、もしかすると人類にとてつもない夢を与えてくれるかも知れないのである。
 今年の3月、ジョンソン宇宙センターで開かれた第28回月惑星科学会議の中心は火星生命に関するものであったが、特に「火星隕石と生命」と題する特別セッションは宇宙センターの講堂を超満員にした。もちろん、昨年8月、NASAの記者会見でD.S.McKay等の発表した「初期火星の原始的生命の証拠」に端を発した問題である。門外漢の筆者に討論の詳しい内容はよくわからないのであるが、この会議に限らず、今回のトピックスに関連する動きを極めて側面的に、且つ独断で解釈をすると次のようになる。
 1 今回の研究で証拠として明確にされた隕石中の現象群から、火星における生命活動の痕跡(の可能性)を確信することに多くの研究者は消極的であるようにみえる。
 2 しかし、よくぞ言ってくれました。たった一個だけ手にした、火星生成初期にできたと考えられる隕石をもとにして。しかもこれだけ議論に耐える研究成果を踏まえて・・・。ということなのでしょうか。
 3 なにしろ地球外生命に関する研究が活気づき、また研究者の枠をはるかに超えて世界中の人々にアピールしました。クリントン大統領の応答の早かったこと(これは筋書きが出来ていたのかな)。NASAは次々と驚くべき数の火星探査計画をプロポーズしている。(あまり度が過ぎて他の分野の研究者にひがまれないかな。)
 4 いま重要なのはこの研究成果に納得できないといって止めを刺すのではなく、生命存在の確証を得るためにこれからさらに何をすべきなのか、そのための具体的活動を始める足がかりとしてこの研究を位置づけようではないか。
 とまあいささか勝手な解釈になってしまったが、せっかく盛り上がった火星生命の議論、何とか永く続くことを願うわけである。これが80年代はじめ、K/T境界層でのイリジュウム濃度異常の発見に始まる、「小惑星衝突と生物絶滅」に関する論争のような展開につながると大変おもしろいのであるが、ただこれからさらに新しい証拠を見つけ出すためのもとになる材料が何とも乏しい。南極をさらにくまなく探し回るか、あるいは次の火星探査、特にサンプルリターンまで待つことになるのか。それとも現在の手持ち資料で別のアプローチが見つかるのか、今後の研究活動に注目したい。
 それにしてもこの南極アランヒルズで拾われたALH84001という隕石は貴重だったのである。現在火星からやってきたとされる12個の隕石の中では組成だけでなく、結晶化年代も45億年と極端に古く、1984年に発見されてから別の分類をされていたということで、火星隕石と認定されたのはごく最近である。火星への天体の衝突によって多数の岩石が惑星の脱出速度を越えて宇宙空間に飛び出すのだとしたら、途方もない数の火星岩石が宇宙空間に漂い、やがてどこかの天体に落下するということを繰り返してきたはずである。もっと地球に落下してもよいのではないか。何とか手応えのある大きな火星隕石は落下しないものであろうか、・・・などどいうとスペースガード協会の理念に悖ることにはなるのだが。

写真 : ヘールボップ彗星   撮影 渡辺文雄 
     (詳しくは上の写真、またはここをクリックしてご覧下さい。)


18号の目次に戻る