この記事を書いている時には、土井隆雄さんはスペースシャトル・コロンビア上で大活躍である。船外活動も順調で、予定外の衛星の手掴みの回収まであり、全国の人々がその活動に注目している。
マニピュレータを操作する土井さん
土井さんと一緒に日本スペースガード協会のロゴが宇宙に行っている。既にお知らせしたように、当協会のロゴは衣笠美保さんがデザインしたものである。貧乏協会では衣笠さんに何のお礼もできなく、何かよいアイディアはないかと思案をして、会員である土井さんに色紙を書いていただいた。それは図のようなものである。“宇宙をめざせ”ということばが、12年間の苦労の後にやっと宇宙に飛び出した今回の土井さんを見るにつけ、より実感されるものである。当然の事であるが、この色紙をもらった衣笠さんは大喜びで、数日前にも“土井さんのようにしっかり目標を持って、努力していきたいと思います”と言っておられた。
衣笠さんと色紙
御存知の通り、元々天文少年であった。現在でも奥様のひとみさんと星空探訪にテキサスの平原に車を走らせている。自宅には口径45cm望遠鏡が転がしてあり、“これを車に乗せるのは大変でね”と言いながらも時々は持ち出しておられる。大学では少し方向を変えて航空宇宙工学を学び、私と同級生の宇宙科学研究所の的川泰宣さんの弟子である。幸いにも時々は私の書いた天文書を読んでくれており、ある講演会でご一緒した折に話が弾んで以来、親しくさせてもらっていた。そして、日本スペースガード協会発足の話をするとさっそく会員になってくださったのである。去る6月(1997年)に国際会議の折にヒューストンにお邪魔して、一夜、写真のように3人でメキシカン料理を食べながらいろいろな話をした。前から頼んでいたシャトルから地上の夜の画像を撮ってもらうための具体的なプランの打ち合わせや、当然スペースガードについても話し、夜が更けるのを忘れるくらいであった。
土井さん夫妻と筆者
日本に帰って暫くすると、宇宙開発事業団の担当者から、協会に関係する記念品を宇宙に持って行きたいので何か提出するようにとのFAXが届いた。最初は何のことかよくわからなかったが、ようやく、宇宙飛行士は自分の関係する所(例えば出身校等)10カ所くらいから記念品を預かって一緒に宇宙に飛び、帰還後、それを記念品として返還されることになっていることがわかった。土井さんの暖かい心配りである。協会には適当なものはない。そこで、ロゴの旗を作ることにした。会計担当の豊川さんからはあまりお金は出せないと言われていた。記念品は、後で売買してはならない規定がある。そこで少々ちゃちにあるが、3万円で2枚の旗を作った。そして、1枚は宇宙開発事業団に送り、1枚は予備に手元に置いてある。
あまり立派とは言えない旗ではあるが、協会のロゴのある旗が今、上空に高く地球を回っているのである。その事を飛んでいる間に皆さんにお伝えしていないのは会長の怠慢で、申し訳ないことと思っている。そう言いつつも、協会の旗が宇宙で開いている姿を思ったりして嬉しくなっている。土井さんが無事帰還することをひとみさんは待ち望んでおられることと思う。私も土井さんの無事帰還を願うとともに、協会のロゴの旗が無事帰って来て皆さんにお見せする機会があればと思っている。
(磯部 秀三)