人類の歴史における天体衝突現象の変遷

          デイビッド・アッシャー(通信総合研究所)

               (日本語訳  吉川 真)


  アッシャーさんの原稿(英文)も併せて掲載しました。ぜひご覧下さい。


 地球の環境に大きな影響を与えた天体衝突が、つい最近起こっている。1908年にツングースカに衝突した天体は、おそらく50メートルほどの大きさの天体であり、中央シベリアの上空で大気圏に突入した。そして、太陽に匹敵するくらい明るい火球となり、ツングースカ川上空数キロメートルのところで爆発したのである。爆発による突風は、2000平方キロメートル以上にわたって木々をなぎ倒した。このときに解放されたエネルギーは、TNT火薬に換算して2千万トン分にもなり、これは広島型原子爆弾のエネルギーの千倍にも匹敵するのである。今世紀で2番目に大きな衝突は、1947年にロシアの極東のシコーテ・アリン(Sikhote-Alin)上空で爆発した鉄質の天体による衝突である。このときには、直径が1メートルから14メートルのクレーターが百個以上も形成された。

 天文学者達は、いろいろな大きさの天体について平均してどのくらいの割合で衝突するのか計算している。例えば、ツングースカ程度の規模の衝突は、平均すると1世紀に1回ほど起こるものである。それに対して、恐竜を絶滅させたと思われているメキシコのユカタン半島のクレーターを作ったような衝突は、おそらく1億年に1度程度の割合で起こるものであろう。

 簡単に考えるために、天文学者達はこのような衝突は時間について完全にランダムに起こると仮定することがしばしばある。このような仮定は正しいのであろうか。それとも、衝突が集中してあるときと、衝突が少なくなるときとがあるのであろうか。人類史において天体衝突の割合が変化しているのであれば、これはとても興味深いことである。

 流星を観測したことがある人なら誰でも、流星が時間においてランダムに流れるのではないということを知っている。毎年ある特定の夜に、地球は流星物質の流れの中に突入するが、そのときには普段の夜よりもたくさん流れる流星群が見られる。また時々、地球が流星の粒子の密度が特に濃い領域を通過することがあるが、そのときには流星雨が見られる。我々が見ることができるこのような流星は、一般的に小さな(例えば1センチメートルくらいの)粒子が、大気中で燃えるために生じるのである。

 ツングースカ程度ないしそれ以上の大きさの天体についても、流星と同様に空間的に密度が高いところがあり、ときどき地球がその天体群の中を通過するということを信じるのに十分な理由がある。この議論は、分裂する大きな彗星という考えに基づいたものである。

 周期彗星のシューメイカー・レビー第9彗星の分裂片が1994年に木星に衝突したことは、人々に彗星というものが惑星に衝突し得るという直接的な証拠を示しただけでなく、彗星が分裂し短い間に何個もの衝突が続けて起こりうるということも示した。彗星が分裂することは、例えば彗星が惑星のすぐそばを通過するようなときに起こりうる。シューメイカー・レビー第9彗星の場合は、それが1992年に木星のそばを通過したとき、木星の重力作用で分裂した。彗星が分裂した例としては、数十個知られている。その中には、地球軌道のそばまで来る彗星であるマックホルツ第2彗星がある。これは、シューメイカー・レビー第9彗星の衝突直後に発見されたもので、数週間のうちにいくつかの大きな塊に分裂した。

 また、19世紀にオーストリアの軍の将校によって発見されたビエラ彗星は、注目すべきものであった。なぜならば、第一に2つの大きな塊に分裂するのが見られたということ、第二に、後に完全に壊れた後、すごい流星雨(アンドロメダ群)をもたらしたということのためである。彗星が分裂するということは、同時に危険をもたらす原因となる。というのも、もとの彗星の軌道が地球からは離れていたとしても、彗星が分裂してできた大きな破片が別の軌道に入り、地球に衝突するようなことになる可能性が生じるからだ。

 平均的な大きさの彗星は、非常に大きな彗星よりもはるかに沢山存在するが、たった1個の巨大彗星の質量は、小さな彗星をすべて合わせたものよりも重い。そのために、地球環境を乱すものとして最も主要なものは、最も大きな彗星(例えば100キロメートル以上)なのである。一般的に、このような巨大彗星は、惑星の重力によって内側の太陽系領域に捕獲されるのであるが、その割合は約10万年に1回ほどになる(この割合はかなり変動するものであるが)。その後で、この巨大彗星が何千年もの期間にわたって分裂し粉々になっていくが、その間、大量の物質が地球に降り注ぐのである。

 ある巨大彗星が分裂して、その破片が人類の歴史を通してずっと存在し、そして現在でもまだ地球のそばにその破片があるように思える現象がある。それは、大きな流星の流であるおうし座群というものである。これは、10月と11月に流星をもたらすもので、多数の流星がレーダーによって観測されている。そして、これらの流星は、時間や空間についてランダムにやってくるわけではない。流星全体の半分は、このおうし座の流れを取り囲む幅の広い流れから来るように見えるのである。このことは、このおうし座の流れ(おうし座流)が非常に大きな1つの彗星が壊れたものであることを示唆している。

 エンケ彗星は、最もよく知られた彗星であるが、太陽のまわりを3.3年の周期で公転している(この周期は、知られている彗星の中で最も短い)。エンケ彗星は、予想された通りに回帰してくるのが確認された最初の彗星の1つであった(これは、ドイツの天文学者であり数学者であったエンケによって200年ほど前に予想された)。このエンケ彗星と、もう1つの彗星(1766年に観測されたヘルフェンツリーダー彗星)、そしていくつかの小惑星(これらは死んだ彗星かもしれない)が、おうし座の流れの一部のように見えるのである。ツングースカの爆発をもたらした天体についても、その飛来した方向より、エンケ彗星やおうし座流に関係していたかもしれないと考えられている。

 さらに言えば、太陽系の内側領域の塵は、だんだんと消滅していく。これは、塵の粒子が互いに衝突して小さくなっていくが、十分に小さくなったとき太陽からの放射圧で吹き飛ばされてしまうためである。しかし、塵は観測されており、したがってどこかからか供給されているはずである。おそらく塵の大部分は、巨大彗星に由来するのであろう。

 つまり、もともとは巨大彗星であった天体(現在では最初の質量のほとんどを失ってしまっている)が、おうし座流の母天体となっているのである。この母天体からは、小さな破片(現在我々が見る流星となるようなサイズのもの)と大きな塊(ツングースカの衝突天体やそれ以上のサイズ)の両方が放出されたと思われる。これらの塊は、最初は母天体の軌道の近くに集中しているが、時間が経つとだんだんと分散していく。母天体の軌道周辺に物質が集まっているようなことは、他の流星群の流れにも見られる。そして、赤外線天文衛星によって、エンケ彗星の軌道の近くに塵が集中してできた明るい帯が発見されている。ツングースカの爆発をもたらした天体と同じくらいの大きさの天体も、この塵の帯の中に存在するはずである。

 つまり、おうし座流は非常に幅広いものであるが、その流れの中心には、流星物質や彗星の破片、そしてツングースカのサイズの天体が集まっていると予想されるのである。木星の引力によって、この中心の密度が高い領域の軌道は数千年のタイムスケールで動いていく。そして、時々、地球の軌道と交差するのである(図)。3次元の空間でみると、おうし座流は普段は地球軌道から離れているのであるが、地球軌道と交点を持つような時が来るのである。このようなときには、地球への天体衝突の回数はずっと多くなる。この母天体がエンケ彗星と密接な関係があると仮定すると、最後に軌道が交差したのは西暦300年から500年にかけてであり、その前は紀元前2000年より少し以前となる(図)。これらの値には、かなり不確定性がある。最も最近に起こった交差は数百年前のことで、その前の交差は紀元前3000年くらいだったのかもしれない。このような不確かさは別にしても、「危険な期間」は数百年続くということがいずれの計算でも示されている。この期間中は、天体衝突の頻度が非常に高くなる。そしてその後の数千年間は、地球はおうし座の流れの中心部分から離れることになる。次に交差が起こるのは、西暦3000年くらいである。

 図はおうし座流の中心部分の軌道が変化していく様子。地球軌道と交差するところが示されている。黄道面より上になる部分が太い線で、下になる部分が細い線で示されている。時間は、西暦。この図では、地球軌道と交わるのは、紀元後300年から500年の間と、紀元前2000年から2200年の間である。

 多くの文化においてその歴史の中に見られる彗星への恐怖感というものは、ときどき分裂が起こるということやツングースカのような衝突が起こることに根ざしているのであろう。いろいろな文化の中に、空から岩が落ちてきて火災が死をもたらすという伝説がある。イギリス人の司祭であったジルダス(Gildas)は、5世紀にイギリスであった大きな災害のように思える事実を記している(図を参照)。その災害の後、多くの人々が北フランスへと移住した。この時期は、ローマ帝国の衰亡とヨーロッパの暗黒時代の始まりとも符合しているのである。

 それ以前にいつ地球軌道がおうし座流と交差したかは確かではないが、紀元前の3千年前後であったと思われる。天文学者であるダンカン・スティール博士は、よく知られているイギリスのストーンヘンジやエジプトのピラミッドのような多くの古代の建造物は、その当時に空が異常なほど活動的であったことと関係していると指摘している。彼は、過去のおうし座流の中心の軌道(現在の軌道とは異なる)が、ストーンヘンジのもともとの向きと関係づけられることを示した。

 長谷川一郎博士の研究によると、中国や日本で記録されている火球の数が、過去2000年以上の間でときどき非常に増大することがあった。例えば、暗黒時代のときに火球が増大しているのである。この他にも火球の数が増えているときがあり、その中のいくつかはおうし座流の中の大きな塊によるものかもしれない(月ごとの数の変化にその証拠が見られる)。長谷川氏は、18世紀の終わり頃に火球の数が増えたのは、エンケ彗星の活動が活発になったことと一致していることを指摘している。おそらく、このときにエンケ彗星がおうし座流の母天体から分裂したのであろう。ビクター・クルーベ博士は、ヨーロッパ社会における困難な時期を示すような出来事を見いだしているが、そのときにはいつも火球の活動が活発になっているのである。

 天文学者達は、ツングースカやそれよりも大きな天体の衝突が時間において完全にランダムであるかどうかについては、まだ同じ考えを持つに至ってはいない。しかし、彗星が分裂することで空間的に天体が集中した領域があることや、そしてそれが地球にツングースカの爆発をもたらすことになったということについては、天文学的な観測や計算の事実がある。現在および天文学的な近い過去におけるおうし座流の重要性というものは、歴史的な事実によって裏付けられるであろう。ただし、そのような事実は、必然的に不確定要素の多いものとはなってしまうが。また、気候の研究からも証拠が得られるかも知れない。なぜならば、宇宙から十分な量の物質が地球に降り注ぐと、地球の気温に影響をもたらすからだ。それは、その塵の粒子が大気中を通って地上に落ちるまでには何年もかかるため、大気中の塵によって太陽光線が宇宙空間に反射されてしまうことによる。まとめると、数千年前の天空は現在と比べて異なるものであったし、未来にもまた変化するように思えるのである。

参考文献:

The Cosmic Serpent, V.Clube, B.Napier 著 (Faber & Faber,

London, 1982)、藪下による邦訳あり。

Fire on Earth, J.Gribbin, M.Gribbin 著 (Simon & Schuster,

London, 1996)、邦訳は「彗星大衝突」(磯部、吉川、矢野訳)

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この文章は、1998年2月22日に開催された、日本スペースガード協会での講演を基にしてまとめたものです。

訳注:

訳者の力量不足のため、この日本語訳は原文の雰囲気を十分に訳しきれていません。インターネットのホームページには原文も掲載されますので、是非、そちらをご覧下さい。(日本語訳:吉川)


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