古宇田亮一(地質調査所)
(承前)
今回は、これまでに見てきた人類史と重なる、氷河時代以後の衝突クレータを見てみよう。まず、歴史時代で比較的よくわかっている衝突クレータは、最近1000年以内に落下したものであろう。又、氷河時代が始まった100万年前のクレータについても、かなり解明が進んできた。以下、似たような衝突クレータの紹介を列ねるが、「世界の観光案内」のつもりでお読みいただければ幸いである。
10. 最近1000年以内の衝突クレータの痕跡
第二次世界大戦が終わってまもない1947年2月12日午前9時の北の空、5,000mの高空に毎秒14,500mで南方へ落ちてくる流星が現れた。流星は日本海の対岸シホテアリンのグベロボ村の近くに、小規模の隕鉄群として数百に分かれて落下した。200m程度の幅で1kmくらいにわたり、最大直径27mをはじめ121個の衝突クレータが形成された。これは、地上で記録された隕石(鉄)によるクレータのなかでも新しいものであり、当時300人以上の証言者が得られた。彼らによれば、火の玉の像が太陽ほどに目に痛く突き刺さり、明るい映像が消えた直後に大音響と咆哮が天地を揺るがしたという。音響ショックで家々の扉や窓は破壊され、天井の壁もはがれ落ちるほどだった。直ちに科学調査隊が組織された。隕石の落ちた後の殆どのクレータは掘り返され、クレータ底にたまった隕鉄を除かれてしまった。そのうちの大きな3つのクレータについては、記念碑として現場に残されているので、今では見学することができる。
同様のクレータが、人口の少ないオーストラリアのような広大な地域に落ちると、後になってから、隕石の落下だと推定される。西オーストラリア州のカラニヤ町の近くにあるスネリング・クレータは、1990年に発見され、発見のごく数年前に隕石が落ちた後らしいと推定されている。隕石は発見されず、大きさも、飛散した地球の放出物が30mの範囲で見つかっている事ぐらいしかわかっていない。より深い範囲での探査が必要といわれている。このような痕跡は、他にも少なくない。
火山でもないのに抉れたようなクレータ状の地形があって、放出物が飛散し、隕石によるクレータと推定される構造はいくつも発見されている。そのうちの、ウラジオストク北北西600kmの海岸に近いソボレフ・クレータは、50mほどの放出物範囲をもつ。顕微鏡で観察すると、隕石物質と衝撃溶融物が発見された。そこで、隕石による衝突クレータと認定されている。隕石物質には、ニッケルを多量に含む特有の球状体があり、珪酸塩の不規則ガラス状集合や球状体も発見された。このような物質が地球上で自然に生成することは困難なため、地球外物質と考えられ、クレータが隕石衝突と考えられるようになる根拠の一つとなっている。同様に、地球上では考え難い元素の高濃集、例えば、イリジウムや、ぐしゃぐしゃに壊れて高圧変成している衝撃石英等が地形的窪みの周りで発見されると、隕石によるものではないかと推定されるのである。ソボレフ・クレータの存在する地域の岩石は数千万年前の白亜紀と第三紀のものである。しかし、衝突クレータはそんなに古い時代にできたものではない。土壌等の証拠から、およそ200年前に形成された新しいクレータであると信じられている。
米国カンサス州グリーンズバーグの東15kmにあるハビランド・クレータは、農地に埋もれて地形的特徴が不明となっていた。しかし、1886年、土だらけのプレーリー(大草原)の中に、全体で1トンを超えるブレナム隕石がカウボーイによって発見され、数千の隕石片も飛散していたため、1925年になってから、17m〜10.7m径ほどのクレータと認定された。最大の隕石は500kgを超えていた。不可解なことに、発見者のカウボーイがすぐに病気で亡くなってしまったが、その友人が詳しい発見位置を知らせたので、その後の調査が進んだという。今日では、侵食と開発でほとんど地形的な原形を留めていないが、1000年前以内の衝突であると見積もられている。
このように、1000年前以内には巨大な隕石が衝突したという証拠は見つかっていない。私達人類は平穏な時代を過ごしているようである。
11. 千年以上1万年前に至る衝突の痕
千年を超えると、推定が少し面倒になってくる。
エストニアのイルメチ・クレータ群は首都タリンの南東に175km離れた湿地帯の中にあり、80m径のポーグハウト・クレータ、50m径のスガフハウト・クレータ、24m径のトンチハウト・クレータの3つからなる。クレータ周辺が4mほど高まっており、中心が12m沈んでいるところから、形態的には明らかである。2000年以上前の衝突であると推定されている。同じく、エストニアのカーリヤルビ(「湖を埋める」という意味)・クレータ群は、最大径110m深さ20mのクレータを始めとする大小8つのクレータが、およそ1kmの範囲内に北西−南東方向に散らばっている。隕石の球状体や磁性珪酸塩が広く見つかっている。たまたま小さな二枚貝の化石が同時に存在していたため、およそ4000年前に衝突した痕と計測された。この場所はアクセスもよく、湖のクレータがよくわかるため、地質観察の名所となっている。この年代は、先に見た文明史の激変期に近いが、もう少し精密な時代がわからないと、何とも言えないだろう。
オーストラリア北部州のボックスホール・クレータは、ほぼ円形に近い直径185mのクレータで、5000年前に衝突したと推定されている。周辺で衝突隕石の破片が多数発見されている。同じ北部州にあるヘンブリー・クレータ群は、砂漠の中にある。直径180m以下程度の大小13個以上の不規則な形状のクレータが発見されていて、保存状態も比較的良い。空中写真でもよく見える。多くの放出物が広く分布している。5000年前と同時か、それよりは新しいのではないかと見られている。人跡未踏な砂漠の中では、直接の被害は少ないかもしれないが、大気や気候にはある程度の影響が考えられるだろう。
中央シベリアにあるマチャ・クレータは直径300mで7000年前以内の衝突とされている。寒冷地域で、地表がぐちゃぐちゃな湿地でない極寒の真冬でなければ、その調査は容易ではない。筆者もカナダで資源調査に従事したことがあるが、地表が固く凍結した真冬でないと、キャタピラ車で大型の調査機材を運べないことが多かった。
同様に、アラスカの山中にあるシジレメンカ湖クレータは、衛星写真により1977年に発見された。12kmの大きな直径を持つ。アラスカには、氷河や火山による環状構造が多数あるため、小惑星衝突か地球のものかを衛星写真だけで区別するのは難しい。湖の周囲に多くのニッケル異常濃集が発見されており、湖の中心が異常に低い磁気異常帯となっていて、基盤岩の多くが変成されていたため、衝突クレータと考えられるようになった。1万年前程度の衝突と見積もられているが、正確な根拠を欠いている。12kmの直径は比較的大きいので、今後正確な衝突年代を知る必要がある。また、1万年前になぜ氷河が融けたのか、単純に氷の表面を黒色の物質が覆ったため、太陽熱を吸収しやすくしたのか、別の原因か、少なくとも氷河中心といわれるラブラドル半島への直接的影響等は考えなければならないだろう。
1万年前の小惑星衝突の証拠は少なくないし、現象としても不思議なものがある。アルゼンチンのリオカルト・クレータ群は、飛行士により発見された。北東方向に奇妙に伸びた11個の楕円からなり、最大のもので長径4.5km短径1.1kmと大きい。全部で30kmの範囲にわたっている。室内実験の高速衝突で得られる形によく似ている。隕石起源のテクタイトや衝撃ガラス等が見つかっている。1万年前かそれより新しいと見積もられている。
ポーランドのモラスコ・クレータ群は、ポズナンの北9kmの寒帯林の湿地帯にあり、100m径以下の8つのクレータからなる。そのうちの7つは500mの範囲に散開、一つだけ北東に600m程離れている。第1時大戦中に発見された最大78kgの隕石が20個見つかっている。氷河期が終わった1万年前に衝突したと見積もられている。スカンジナビアの氷河の後退に何らかの影響を与えたのかどうか、あるいは、同時期に北海海底にあったメタンハイドレートの大量放出とも関係があるのか無いのか、今後の調査の発展に期待が持てる。
1万年以内の衝突クレータの年代は大雑把にしか計測されていないことが多く、文明史との接点をもとめることは難しい。それでも、1万年前、5〜6千年前、4千年前のように興味ある年代が知られており、今後の研究の進展が待ち遠しい限りである(全然関係なし、という結論が出るかもしれないが)。
12. 伝説から事実へ
古代説話には、空想だけで造られた「お話し」というより、何らかの事実の反映と見た方が納得できることがいくつもある。そのような事実は、考古学的な発掘で証明できる。
最近、華陽国史という史書に書き留められていた古代蜀王国の説話が、近年、日本も加わった調査による長江文明の発見により脚光を浴びて、夏殷王朝時代の黄河文明とほぼ同時期の「仮面王国」として蘇りつつある。シュリーマンの古代トロヤ遺跡の発見も、ホメロスの叙事詩を全くの空想の産物としていた当時の学問では推定不可能であったろう。古代説話を一概に全面否定する態度は、もはや、科学とも学問とも言えなくなりつつある時代に入ったようである。
古代シナには、天空が落ちてこないかと毎日心配していた人々がいた。すなわち、「杞憂」の語源である。司馬遷の史記によれば、杞国の人々は古代シナ夏王朝の末裔であるという。殷周革命の時、武王の弟で国家の礎を築いた周公が見つけ出し、杞に小国を建て、祖先の霊を祀らせた。杞憂とは、無用の心配をする取越し苦労のことである。つまり、天が落ちるようなことは金輪際無いのだから、そんなことまで心配する杞の人は変だ、という、半ば侮蔑的な意味が隠されている。同様のことは、周にとって前政権だった殷王朝の末裔である宋の人に対して、「待ちぼうけ」の説話が「変な人たち」という意味で使われていたことにも見られる。
それでは、全く何の根拠も無く、昔の人々は荒唐無稽なことを空想していたのだろうか。事実は今だ不明ながらも、何らかの天変地異が、往古の夏王朝に大きな激変をもたらした可能性を否定することはできない。そのような証拠は、別の分野でしばしば立証される。往古の西周王朝末期に、首都に大地震が起こり政権が分裂した。その有様が謡われた詩経の「十月之交」の文章が、近年、多数の金文の解釈で事実として裏づけられ、年代も明らかになった。これからすれば、大激変をもたらした自然現象が、今日の科学的用語ではっきりわかるように書き留められたかどうかは疑わしいものの、何の根拠も無いと直ちに片付けられるとは限らなくなる。天から何か落ちてきても、それをどのように解釈するかは、万人同一ではない。むしろ、天から何か落ちることを、なぜ、気にしていたのか、その根拠となる物的証拠が欲しい。
アルゼンチンのカンポデルチエロ・クレータ群は、ブエノスアイレス北西1000kmの位置にあり、径115m〜20m程度の北東−南西方向17kmの範囲に散らばる12個の小さなクレータからなる。既に16世紀にスペイン人が隕石のかけらを持ち帰っている。住民のいい伝えによると、「空の野」(スペイン語でカンポデルチエロ)と呼ぶ大きな岩石が天空から落下したという。しかし、隕石放出物に貼りついた木炭の年代が5800年前を示しており、そんなに古い時代の言い伝えが果たして残っているのか、議論がある。もし、いい伝えと炭素同位体年代が関連があるとすれば、古い時代のいい伝えの正確な継続性の根拠になるかもしれない。これは、同様の世界の伝説の確度を推定する上でも、興味ある事実になる。
サウジアラビアのリヤド南東500kmにあるワバール・クレータは砂漠の中にあって、保存状態がそれほどよくはない。直径100m程度と見積もられるが、衝撃隕石の証拠や鉄ニッケルの球状体を含むガラス等が多数発見されている。ラクダの隊商の通り道にあった。ワバール・クレータについても不思議な説話がある。そこに栄えていた商業都市があったが、神の怒りを招いて「天空からの来襲」により撃滅されたという。この話は比較的有名なアラビアの説話で、各種の書物に出されているが、ワバール・クレータの衝突も6000年前と推定されていて、カンポデルチエロ・クレータ群とは近い。むしろ何らか共通のものがあると仮定する方が易しい。
いったい、このような説話群は何を意味しているというのだろうか。
13. 百万年前までの小惑星衝突
陸上の衝突クレータは、水による侵食や風化、あるいは地殻変動で跡形もなく消滅してしまうことが多い。古いクレータほど残りにくい。しかし、砂漠や極寒の地域の地形的変化が少ないところでは、古いクレータで小さいものでも残されることがある。氷河時代が終了した後、地球温暖化のため砂漠地域には降水が続いて古いクレータの小さなものは侵食で消し去られた可能性がある。氷河期が百万年前に始まって以来、寒冷な地域は氷河による侵食と厚い洪積世堆積物に被われて、やはりクレータの証拠が見つけにくくなっている。それでも、百万年前までなら、1km以下のクレータも多少残っている。
西オーストラリアの砂漠にあるダルガランガ・クレータは直径20mと比較的小さく、クレータ底に角礫が見られ、放出物が周囲40mにわたって散乱している。隕石が数m下に埋没している。25,000年前に形成された後、ほとんどその姿を変えていないと推定されている。
米国アリゾナ州のフラッグスタッフの東、ルート66に近いバリンジャー・クレータは、北米で最も有名な衝突クレータで、多くの書物に写真が載り、観光客も多い。直径1.2kmの不完全な円形のクレータで、周辺7kmに及ぶ何千という隕石標本が採集されており、多くの研究がある。衝突した隕石は30トン程度の重さだったらしいので、小惑星としては大きさが10mもなかっただろう(60〜80mではないか 磯部)。しかし、衝突で巻き上げられた粉塵は更に周辺10kmに及び、12,000トン程と見積もられているので、如何に衝突の影響が大きかったのかわかる。49,000年前の衝突と推定されている。
テキサス州の石油地域に落下したオデッサ・クレータ群は、バリンジャーとほぼ同じ50,000年前の衝突と推定される。前世紀末に発見されたが、衝突クレータであることが判明したのは、1922年になってからである。最大のもので、170mの直径があり、クレータ縁で発見された隕鉄には150kgに及ぶものがあった。石油掘削井戸により、衝突で50mくらい深く掘込まれていることがわかった。クレータ内には隕石の証拠がなく、この程度の中規模な小惑星は、大部分が蒸発飛散してしまったものと思われている。
インド中部のハイデラーバードの北西350kmにあるロナール・クレータは直径が1.8kmあって、ほぼ円形の形状が衛星画像でもよくわかる。クレータ縁にゲストハウスが建てられて、観光地になっている。長い間、火山の火口と考えられてきたが、この時代に火山活動がどうしても存在せず、不思議がられていた。地質調査で衝撃変成の痕が見つかり、コア掘りボーリングと地下深部の地球物理探査によって、1970年代以後は隕石孔と考えられるようになった。テクタイトや衝撃ガラスが広く飛散している。これも5万年前の衝突である。
アルジェリアの砂漠地域の砂岩層にほぼ完全な円形の地形で残されているアンギード・クレータは直径450mの規模で、バリンジャーによく似た衝突痕である。10万年前以内の衝突と見積もられている。衝撃石英等が飛散し、陥没域は雨期に湖となる。
雨期に湖となった陥没地域が乾期に干上がり、塩をためて、周辺住民に恩恵をもたらしているのが、南アフリカの首都プレトリアの北北西40kmの花崗岩地域にあるプレトリ塩皿クレータである。直径は1.1kmあり、陥没は120mの落差がある。これまで、なぜ円形の陥没か理由がわからなかった。1989年にボーリングを掘って、初めて衝突変成石英等が発見されることにより、隕石孔と認定された。重力探査により、クレータの地下構造が詳しく判明している。20万年前の衝突である。
西オーストラリアの砂漠の国立公園にポッカリ浮かぶ円形陥没の狼川(ウルフクリーク)クレータは、オーストラリアで最も有名な衝突クレータである。その直径が880mと、観光にほどよい大きさである。シーズンには多くの観光客でにぎわう。米国のバリンジャー・クレータとよく似ているが、シェール球、衝突石英、衝突放出物、隕石と隕鉄等の、衝突に特有の物質が幾つもあって、それぞれ楽しい観光スポットとなっている。30万年前よりは新しいと見積もられている。
タスマニア島の山岳地域の中にあるダーウイン・クレータは、直径1km、73万年前の衝突の痕である。ダーウインガラスと呼ばれる謎のテクタイト様物質が長い間有名だったが、クレータ特有の陥没地形が明らかでなかった。衝突クレータであることが判明したのは、1970年代に入って、地球物理探査を開始してからのことである。重力探査で、陥没が200mの深さに達することがわかり、中心部をボーリングして、ダーウインガラスの分布が解明された。ダーウインガラスに似たテクタイトと呼ばれる物質は、広く東南アジアの陸上や大平洋の海底に飛散して見つかっており、衝突隕石と何らかの関係が見積もられている。
カザフスタンのアラル海北100kmくらいのイルギズ村南西40kmに位置するジャマンシン・クレータは、90万年前の衝突で、直径13.5kmという比較的大きな円形の陥没地形である。衝突ガラスやイルギザイトというテクテイト様物質が広く飛散し、テクタイトと深いつながりがあると見られているクレータの代表的なものである。6km径の内円と二重構造のクレータになっており、周縁にはシャッターコーンや衝撃石英、高圧生成のコーサイトとスティショバイト、その他の衝突特有鉱物ジャマンシナイト等が見つかっている。この大きさと放出物の多さの理由と影響は、これから解明されるだろう。
西オーストラリア州のビーバーズ・クレータは、100万年前以内に落下した衝突痕と見積もられており、直径80mの規模である。35個の隕石試料が得られた。クレータ内には砂漠の植物が繁茂し、地下水が溜る構造が地下に推定できる。
チリのアタカマ砂漠のボリビアーアルゼンチン国境に近い所で1962年に空中写真で発見されたモンチュラキ・クレータは、その後、地上調査により、クレータ周縁で隕鉄シェールや衝撃ガラス、衝撃鉱物や鉄ニッケル球状体が見つかり、衝突クレータと断定された。ほぼ100万年前の衝突と考えられている。
14. 小惑星衝突と氷河時代−地球温暖化
こうした陸上のクレータが関心を引くのは、大きく4回繰り返した寒冷な氷河期と温暖な間氷期に対する小惑星衝突の影響である。小惑星衝突で衝撃による塵や硫黄酸化物が空中に巻き上げられると、火山噴火のように地球寒冷化に働くだろう。大型のものなら、「核の冬」並みの効果があると思われる。
逆に、既に氷河期にある地球に小惑星が衝突すると、クレータ周囲が高熱で溶かされるだけでなく、黒い粉塵が広く被って太陽熱をよく吸収し、温暖化に転じさせる効果も考えられる。非常に大きなものが海洋に突き刺さった場合、海底のメタンハイドレート等を大気中に巻き上げて、全地球的温暖化を促進する効果もあるかもしれない。1万年前に急速に地球温暖化が進んで、世界中で海水準が上昇、世界各地の沿岸で急激な高波・洪水が押し寄せた原因や、又、氷河の急速な減退の原因は、まだよくわかっていない。
付表:最近100万年間の衝突クレータの例
衝突が寒冷化をもたらすのか、温暖化をもたらすのか、その時の条件によって異なると一般に考えられている。それほど、私達の住む地球は微妙なバランスの上に成り立っている。(続く)
なお、次回(24号)は、以下の予定です。
(その5)恐竜絶滅以後、氷河期までの小惑星衝突の痕
(承前)
15. 第三紀という時代と我々
16. 「水生人類」がアファールで泳いでいたころ以後、人類の発生・進化とともに歩んだ小惑星衝突の痕跡
17. 恐竜絶滅から人類発生までの小惑星衝突と生物の変遷
18. 衝突クレータを地上で探す意義と、宇宙空間の小惑星探査の重要性