砂漠で見る月はなかなかに幻想的である。子供の頃から親しんだ童謡「月の砂漠」の旋律が思わず浮かんでくる。しかし、すぐにこれは本当の砂漠の歌ではないということが分かる。実際の砂漠は荒涼として、荒々しく、少しの風でも砂塵が視界を遮り攻撃的ですらある。「月の砂漠」の歌をこよなく愛する人は、本物の砂漠は見ないことをお勧めする。せっかく心の安らぎとしてきた砂漠への甘い想いを失うだけだであるから。長い間憧れていた所への旅行というのは、どうも同様の結果をもたらしがちである。もちろん実際に行ってみてさらに憧憬の念を増すということもあると思うが、多くの場合それまでに仕入れた知識の確認のためであったりして味気ない。逆に何も知らずに出かけ方が、楽しく、満たされた旅になることが多い。これは何も旅に限らない。現在の情報過多は我々からだんだん感動と自然への畏敬の念を奪っていくような気がする。したがって少しでも多くの知識を、と欲張るのはかえって人生を味気なくするが、ただ知っておくべき情報と不必要な情報を前もって区別するのはほとんど不可能であることも確かである。さて次の情報はどちらに属することになるのだろうか。
「空から舞い降りる雪片のように星が降る」。1833年11月12日、ボストンでの話である。その数は1時間に全天で34600個になったと推測された。ジョージア州の農場では多くの黒人達が「世界が焼ける!」と叫んで地上にひれ伏したのだという。この33年周期で華やかな天体ショウを見せてくれるといわれる、しし座流星群、今年はそのピークに当たる。通常観測される流星群の出現数は、理想的な観測条件下でも1時間に15個程度であるが、33年周期にあたる今年は200個から、多ければ5000個以上の流星が1時間のうちに見られるのではないかと予想されている。今年2月28日に近日点に達したテンペル・タットル彗星は、3月5日に黄道面を横切っていった。このときたっぷりと流星のもとを残していってくれたらの話である。地球は11月17日19時43分(これは世界時で、日本時間では11月18日午前4時43分になる)、この彗星と黄道面の交点に接近する。このときが流星活動のピークになる。この時刻にまだ夜の明けていない日本は幸いである。日本から東アジアにかけてが、今回の天体ショウの特等席ということになるらしい。もちろんどのくらい華やかなショウになるかは、その時になってみないと分からないというのが真相のようで、これまでには期待を裏切られたことも多い。今年こそ不景気で滅入った気分を吹き飛ばすものであってほしい。(この流星群について、吉川さんの詳しい解説が6〜7ページにある)
夜空を見上げれば見事な天体ショウであっても、実は軌道上にある人工衛星にとってはなかなかの脅威となっている。その一つ一つは微々たる粒子のようなものであっても、秒速70kmという猛スピードで衝突するとなると、大変な衝突エネルギーとなる。現在軌道上で活動している衛星は500個程度あるとされているが、その一部は被害を受ける可能性も十分でてくる。アンテナの向きを変えるなど、様々な避難態勢をとる衛星もあるようである。地球大気という安全な衣のもとで生きてきた人類が、活動領域を広げて大気層から少し首を出した途端に遭遇する、自然の厳しさ、あるいは脅威の一つである。これまで無人であれ、有人であれ、宇宙に出ていく際には、超真空、極端な温度差、無重力、放射線など、地球上では経験しない幾つもの課題に工夫を凝らして対応してきた。その中には宇宙デブリの衝突という問題もある。今回の彗星廃棄物の衝突はその一つのハイライトになるのかもしれない。
いずれにしても大気層というものは有り難いものである。地球大気は原始地球誕生後まもなく形成されたが、その成分は時代とともに変化していく。今から10億年以降、藻類が浅い海に進出してくるにしたがって大気中の酸素濃度が急速に増加した。大気上層に達した酸素は太陽からの紫外線を吸収するオゾン層を形成し、陸上での生物の生存を可能にした。軌道上では非常に危険なデブリの衝突を、大気層は華やかな天体ショウに変えてくれるのである。しかしこのような大気層を含む地表環境は、それほど安定なものではないらしい。もちろん約20万年前にアフリカに誕生した新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)を直接の祖先とする我々人類の歴史の長さからすると、それは実感しにくいものであるが。特に地球内部から、あるいは天体衝突による外部からの力によって、急激な変化がもたらされる。その結果として何度かの生物大絶滅が起こっているわけである。
というわけで余分な知識を仕入れてしまった以上、しし座流星群をどのように鑑賞するのがよいのだろうか。あの砂漠の漆黒の闇の中で、大気環境の末永い安定を念じつつ、専門家の出現個数予想がどのくらい外れるかを冷静に見極めるというのはちょっとひねくれている見方になるかな。
(写真は中国、敦煌にて。 写真とエッセイ 由紀聡平)