ちょんまげ頭で見た天体(第4回)

       時は幕末・天文に興味を抱いた鉄砲鍛冶、

             一貫斎国友藤兵衛の天体望遠鏡

                      渡辺 文雄(上田市教育委員会)


 1997年の晩秋のある日、私は長野県から東京三鷹の国立天文台に向かう中央自動車道を走っていた、クライスラーの4.000ccエンジンは心地よい音で私と、そして後部座席にあしらえた荷台には市立博物館の学芸員の手で厳重に包装され、固定された国友望遠鏡を時速100Kmで運んでくれている。ほとんど、毎月のように国立天文台には出かけているのであるが、今回は特に上田市の文化財を積んでいるというプレッシャーが私のどこかで働いているようで、高速道路も時間の方が早く流れているようである。

今日は朝9時頃に上田市立博物館の国友望遠鏡を積込み、上田を出発して白樺湖をこえて来ているのであるが、いま私がこうして走っていること事体、1年前は考えても見なかった事情に起因している。それも、国友望遠鏡の学術調査というプロジェクトをスタートさせたことからである。

 前号までであらましを掲載してきたように、1997年7月から始めた「国友望遠鏡学術調査」も第二回目の調査として、今日11月15日に三鷹の国立天文台で主鏡の分光反射率の測定と、接眼レンズの分光透過率の測定を行うことになっている。今日のために9月に一度国立天文台に出向いて、この測定を行ってくれることになっている、「中村 士」氏と打ち合わせを行い、測定器を見学させてもらい測定器の仕様書を参考に、市立博物館に対して国立天文台に持ち込んで調査するための申請を行って「上田市教育委員会の」許可を得ている。

 今日は、一昨日までの富田氏との打ち合わせでは13:30に国立天文台の南研、中村氏の研究室集合となっていたのであるが、昨日の中村氏からのメールで、天文台の停電点検のため15:30までは天文台全体が停電しているという情報によって、急遽到着時間を遅らせても良いことにはなっているが、私が調布についたのが13:30であった。ここから天文台まではほんの5分くらいである。見慣れた天文台通りをゆっくり走ると左側の調布飛行場のフェンス沿いの広い草地や木々もすでに黄色の秋一色に変わっている。木々がうっそうとした天文台の正門をくぐると、いつもながら俗世間と一線を画したような感覚に陥るのは私だけだろうか? 淡い桜の紅葉と、少し奥に入った官舎のあたりはもみじが真っ赤に色付き、ここが武蔵野台地の一角であることを感じさせてくれる。広大な天文台の敷地の中でも特に、旧太陽写真儀や60cm屈折望遠鏡ドームのあたりでは、昔ながらの雑木林の向こうに調布の街が木々の間から見え、天気が良い時など散歩してみると私の住む上田あたりよりも、もっと自然が身近に感じられる・・・それでも夜間の光がこの天文台での観測をほとんど不可能にしてしまっていると言う、この自然はどこまで破壊されてしまうのか?ふと一抹の感傷をおぼえる時でもある。

 さて、車を駐車場に置いて南研の中村氏の研究室に行くと、京都の松田氏と富田氏がみえていて、まだ停電は戻っていないようである。しばらくして中村氏が到着し、早速測定の打ち合わせを始めた頃に約1時間程早く停電が復旧して薄暗かった部屋に照明が灯り、コンピュターやそのほか電源の必要な機器に一斉に電気が入ってファンの音がひびき始めた。測定は、開発実験棟の一階実験室にある、自記分光光度計UV-3100PC(島津製作所製)を使用して行うことになっている。9月に私が打ち合わせに来て国立天文台で測定を行うことが決まってから以降、測定に必要な物についての打ち合わせや、測定方法についての打ち合わせは中村氏を中心に、富田氏や関係者ともメールや電話で準備が進められていた。

 測定の原理を簡単に紹介すると、測定器の持つ標準光源を高速でチョッピングして2方向に光束を振ってやる。最初に基準用と被測定用の両光路に基準用の反射鏡を挿入して両出力を揃えておく「calibration」、その後被測定用の光路に測定すべき反射鏡をセットし、基準となる反射鏡の反射率に対して被測定物の反射率がどれくらいあるかを測定するという方法である。この方法によると基準鏡に対する相対値しか求められないが、1998年3月には絶対反射率を測定するための積分球付きの付属装置がつくということで、今回の基準に用いた富田氏が持参したSioコーテイングアルミ蒸着平面鏡の絶対反射率を測定して、国友望遠鏡の反射率を補正することによって、絶対値としての国友望遠鏡の主鏡反射率を求めることができる予定である。

 いよいよ測定が始まった、この測定器では指定した波長域を連続でスキャンさせ、その波長毎の反射率を測定して行くため反射率はアナログ的なカーブでグラフ化される。まず測定波長域を可視光域を含む波長帯λ350〜1.100nmでの反射率を測定するように設定して基準用の鏡を用いてベースラインの測定を行う。この段階で若干のトラブルめいた現象があったが、特に大きな問題もなくクリアーでき、いよいよ国友望遠鏡の主鏡を取り出して、測定器にセットする。話しが前後するが、この測定器は全ての制御計測をコンピューターから行うようになっているため、モニター上の測定ボタンをマウスでクリックしてしばらくすると、モニター画面に青銅鏡の反射率が長波長側から短波長側に向かって描かれて行く。途中でガチャと音がして、グレーテイングが切り替わると更に短波長側の反射率が書かれて行くが、約850nmあたりでは反射率の数値が115%位まで上がる。この位の波長域ではアルミの反射率よりも高くなっているらしい。800nmを超えてさらに短波長に行くと反射率は次第に低下してゆく、500nmあたりでは50%位になり、更に短波長側に行くと低下が著しい。肉眼で鏡面を見る限りではアルミ等とあまり変わらないように見える鏡面も実際に測定してみると、銅の分光反射率を強く反映していることがうかがえる。

図1:国友金属主鏡の可視・近赤外分光反射鏡。 横軸は波長(mm)、縦軸はパーセントで表した反射率である。(a)は参照アルミ平面鏡に相対的な国友主鏡の測定値。(b)は参照アルミ平面鏡の絶対分光反射率。(c)は(a)と(b)とを掛けた結果で、国友主鏡の絶対反射率になっている。
 しかし、この測定器は本来測定光路中に平面鏡を置いて測定することを前提として、基準反射鏡の反射率を100%として、それに相対的な分光反射率を測定する用に設計されている。今回のようにある曲率を持った鏡面の場合、その測定値に数%の誤差を持っていることは仕方のないことである。念のため測定用アパチャーは口径5mmの小さい方を使用して、鏡面の測定場所を変えて3回の測定を行ったが、ほぼ同様の数値を示した、したがって相対値ではあるが、大きな誤差は無いだろうと考えている。以下に示す主鏡データーの830nm付近に大きな段差が見られるが、これはこの波長あたりで、グレーテイング・検出器が切り替わるためだろう、とこの時には考えたが、あとで富田氏が調べたところでは、理科年表によるCuの分光反射率では580nmあたりに大きな段差のあることが解った。興味の有る方は理科年表、「物理/化学」の(金属面の分光反射率)をご覧いただきたい

 次に、金属の専門家である松田氏からの提案で、鏡面が錆びない一つの方法として「漆」の塗布がなされているかどうか?を調べるため、1.000nm~3.200nmの赤外波長域での測定を行うことにした。乾燥漆が鏡面に存在するとしたら、3.100nmあたりに強い吸収バンドが検出されるはずである。測定装置にとっては長波長側の測定範囲ギリギリのところでノイズが非常におおいが、どうやら測定できるようである。この測定も主鏡の測定場所を変えて3回測定したが、いずれの数値においても漆特有の顕著な吸収バンドは見られなかった、したがって160年間錆びずに保たれている理由としての、鏡面に漆の表面処理がされていると言う予想の一つは否定される可能性が高いが、塗布が非常に薄くできていれば、この測定器では、吸収バンドとして検出できない可能性も否定できない。最終的には、さらにこの後に予定している京大での鏡面の分析を待たなければ正確な発言はできない。この通算6回の測定で主鏡に関しての測定は終了した。続いて副鏡の測定を行おうとしたが、直径があまりに小さくて(12mm)載物台にうまくセットできず、結局測定を諦めざるをえなかった。測定はできなかったが、同じ材質の副鏡であることから、ほぼ副鏡も同様な反射率を保っているとすれば、アルミ蒸着鏡(550nmで92%)よりも、合わせて25%、反射率が低いということになるので、アルミ反射鏡に比べて約1.3等限界等級が劣ることになる。

図2:接眼レンズの紫外分光透過率。縦軸はパーセント透過率。上のカーブ(実線)が視野レンズL1,下のカーブ(点線)がアイレンズL2の測定値である。

 時間に追われながら、引き続き接眼レンズの材質が、一貫斎の手記や、幾つかの文献にあるように水晶であるのかどうか?を確認するためにレンズの測定を行った。水晶であれば、可視光域から200nm位の紫外域まで90%以上の透過率を示すはずである。モニター画面を4人の目が食い入るように見つめる中、500nm辺りからゆっくり透過率のグラフが描かれて行く、ところがアレ!と思っているうち350nmあたりから透過率は急に落ち始め、310nm ではほとんど0%になってしまった。画面を見守っていた4人は信じられないものを見る思いでみつめる、しかし指定波長の190nmまで何の変化もなく0%のラインが続いて行く。これでは現在のごく普通の光学ガラスの透過率と何ら変わるところが無いではないか、念のため測定器のセットを再確認して測定し直すが、2枚のレンズ共結果は同じである。したがって、水晶でレンズを作ったという今までの定説は、少なくとも上田市立博物館所蔵のものについては否定される可能性が非常に濃厚となった。しかし、この事実は文献の記述を全面的に信用することの危険性を学ぶ結果となり、物をきちんと測ることの大切さを改めて教えられた次第である。

 今回の調査によって、主鏡については決定的とは言えないながら、反射率が製作当時からほとんど落ちていない、と言う証拠となるような測定結果が得られた。接眼レンズに関しては、一貫斎は本当に水晶で製作しようと試みたことが有ったのかどうか、と言う新たな問題が提起されたことに成るような結果が得られた。測定は、夕食をはさんで22:00頃には終了した。望遠鏡はこの後一週間天文台に預け、場合によっては再度、中村氏の手で測定が行われるかもしれない・・・来週はもう一度天文台に来て望遠鏡を持ち帰り、次の日には京都に行く予定である。いよいよ京大の工学部でこの青銅鏡の非破壊分析を行う予定になっている。後かたづけをして実験棟を出たのは22:30頃だったろうか、小雨に煙る天文台には晩秋の霧が低く立ちこめ、久々に武蔵野台地に溶け込んだ望遠鏡ドームの幻想的な眺めにひたることがができた。

 中村氏の研究室に戻ってデーターの解析や、また望遠鏡を一週間天文台に預ける間に、2日間天文台内で展示をする事になっており、そのための若干の打ち合わせ等を行う。その後、中村氏を帰宅のため調布駅へ送る。富田・松田・そして私の3人は甲州街道沿いのビジネスホテルへ。チェックインだけ済ませ、再び今度は歩いて京王線飛田駅近くの一軒の赤堤灯に入って午前1時頃まで雑談にふけった。多分私がこんなことを始める気にならなかったら、今ここで3人で喋っているこんな情景はおそらく有り得なかっただろう・・等と久しくそんな感情を持ったことの無かった自分に気が付いていた。3人とも各々に、一貫斎の引き合わせとか、松田氏の叔父に当たると言う、中村要氏のことなど話しは尽きなかった。(中村要氏・・一貫斎以降、日本で始めて反射望遠鏡を製作した京大、山本一清氏の協力者と言われている、一貫斎の望遠鏡を調査した経過がある・・)

                             (次号につづく)


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