矢野 創(NASAジョンソン宇宙センター)
前号に続いて、昨年9月に行なわれた日本スペースガード協会(以下JSGA)会員の土井隆雄宇宙飛行士へのインタビューのハイライトをお届けします。今号では、昨年末から建設が始まった国際宇宙ステーションとその後の有人宇宙活動と変わりつつある宇宙飛行士像、そして土井さんご自身の最終目標など、未来志向の話題へと対談は進んでいきます。最後に『あすてろいど』読者へメッセージも頂きました。(内容の文責は全て報告者にあります。)
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宇宙ステーションでの最高の贅沢
矢野創(以下矢野)「話を将来の宇宙開発に移していきたいと思います。まず、現在のお仕事や訓練内容は今年から建設される国際宇宙ステーション(以下ISS:
International Space Station)に関するものですか?」
土井隆雄(以下土井)「ISSは、現在フライト品製作の最終段階で、実際の訓練は来年頃から始まると思います。私はそのカリキュラム作成や、JEM(注:Japanese
Experimental Module、ISSの一部である日本の宇宙実験棟。)のロボットアームのハードウェア開発に携わっています。」
矢野「ISSの打ち上げ時期やミッション内容は、すでに建設が完了する数年後まで決まっています。自分の研究の関心や興味から特定のミッションを希望することができるのですか?」
土井「希望を述べることはできるけれど、なかなか希望のミッションに当たるということはないようです。国際パートナーの飛行士であっても、搭乗機会についてはNASAが最終判断をするという意味では、まだ『封建的』なのかも知れません。NASAは飛行士個人の希望をかなえるという方針をとってはいないし、何よりもチームに溶け込んでいくことが大切だからでしょう。」
矢野「この秋、STS-95ミッションで向井さんが再び飛びますね。宇宙開発事業団(以下NASDA)が関わるミッション中には、地上勤務の日本人飛行士はどんな仕事をするのですか?」
土井「ミッションによります。地上支援などで関わることもあれば、独立に別のミッションの訓練をするときもあります。昔は参加国毎のペイロードに搭乗が指名されることが多かったのですが、今はNASDAや、ヨーロッパ宇宙機構(ESA)、ロシアをはじめ多くの国々が『国際パートナー』としてNASAの宇宙飛行士プログラムに参加しています。またミッションの度に多くの国の研究者が関連しているペイロードが載るようになってきたので、今は特に出身国にこだわらずに指名されています。私はこれはとてもいいことだと思っています。なぜなら、宇宙は『人類共通の財産』であり、もはや一国で全てができる分野ではないからです。この傾向はISSでさらに顕著になるでしょう。そして何より宇宙開発の目的は、より多くの人が宇宙へ行き、またその成果によって地上の人々が利益を得ることだと思います。」
矢野「そのISSに搭乗する飛行士とシャトルプログラムのミッションスペシャリスト(以下MS)の共通点、異なる点は何でしょう?また、特にISS飛行士に求められる資質とは?」
土井「私は、資質自体はISS飛行士もシャトルMSもあまり変わらないと思います。ただISSでは3ヵ月間宇宙で勤務することになるので、より忍耐強いこと、国際クルーとの人間関係を円滑にできるチームプレーヤーであることが必要だと思います。また最初のうちは生命科学、医学、材料科学、地球観測、宇宙科学など様々な実験の訓練を受け、ステーション内では全ての実験を同時に面倒をみなくてはいけないので、『ゼネラリストとしてのMS』が求められます。でも将来的には、シャトルプログラムのペイロードスペシャリスト(PS)のように、ある分野の専門家が短期間実験をしに行く機会がきっと開かれていくと思います。ISSの目的の一つは、世界中の様々な個性を持った人を宇宙に送り、人類の生活圏を拡大していくことなのですから。」
矢野「シャトルはキャンプというか、いわば最長2〜3週間の『短期出張』ですね。でもISSで3ヵ月勤務するということは、実際そこに『住む』わけです。いずれ土井さんも行かれると思いますが、ISSで与えられる週休二日ではミッションを忘れてどんなことをしたいですか?」
土井「やっぱりのんびりと地球を眺めて過ごすかな。ISSでの勤務は忙しく、たぶん作業中に外をみる機会は少ないと思うんです。窓の数も少ないですし。地球をずっと眺めながら食事をしたり、音楽を聴いたり、電子メイルで手紙を書いたり。きっとそれが一番の贅沢じゃないかな?とにかく地球の美しさはいくら見ていても素晴しい。3ヵ月間毎日見ても絶対にあきることはないでしょう。」
宇宙文明を創りたい
矢野「続いて、ISS以降の有人宇宙飛行の可能性についてお聞きします。私はジョンソン宇宙センター(以下JSC)に来てまだ日が浅いのですが、先日催された地元の方々をセンターに招く『オープンハウス』で納得したことがあるんです。この広い敷地は正真正銘、人類のフロンティアを宇宙空間に拡げるために創られた場所なんだな、ということです。私は普段月の石や火星隕石、宇宙塵のサンプルなどがある建物にいるので、オープンハウスまではその関連の研究施設しか知らなかったのですが、別の建物では有人飛行のための実にたくさんの面白い研究が、最先端技術を積極的に取り入れて進められているんですね。
また毎日通勤のたびに、センター正門の傍らに横たわっているサターン5型ロケットを眺めて、『ああ、あそこには30年前のロケットエンジニアの挑戦、米ソの政治的競争、そして<自分の手で月を調べたい>という惑星科学者・地質学者の夢など、いろんな人々のいろんな思いが詰まっているんだな。』と思うんです。私のいる建物には今でも火星に行きたい地質学者や惑星科学者がたくさんいて、毎週木曜朝に将来の有人惑星探査構想を考えるミーティングが開かれています。
しかしいつもそこで議論になる、ある意味JSCの自己否定になりかねないけど避けて通れない質問があるんです。つまり『月・火星探査はなぜロボットだけに任せられないのか?』。実際に宇宙を飛ばれている方としては、この質問をどのように受け止められますか?」
土井「私自身は、宇宙を飛ぶことで宇宙についてより多くのことを知りたいんです。人類はかつて月に行ったとはいえ、その後はまだ地球周辺につながれたままです。未知の場所へ行き、多くの新発見をすることは技術発展につながるし、地上の生活を豊かにしていくことにもなります。また『宇宙文明』というか、現在の人類の文明よりも一段高く登った新しい文明を創ることが、宇宙開発によってできると思っています。ですから、そこには人がいかなければ意味がない。ロボットがどれだけ賢くなれるかわかりませんが、確かにロボットをどんどん送って様々なデータを得ることはできるでしょう。でも人間の感性までは一緒に持っていけませんよね。それこそ地質学者が火星に行って自分の手で石を掴むことによって初めて得られる情報や発見こそが、そうした文明の創造に必要なんだと思います。」
矢野「JSGAでは、太陽方向から地球へ飛来する小天体の観測のために月面望遠鏡を設置する案を出しています。現在、その試験用小型望遠鏡をSELENE計画の2号機に搭載したいと考えているのですが、これについてはいかがですか?」
土井「新しいアイディアを出していくことが宇宙開発を盛んにするので、どんどんやってもらうのが良いと思います。ただその時問題になるのは、他の科学との予算の兼ね合いでしょう。新しく提案されるたくさんのテーマの中から、月面望遠鏡には多くの資金を投じる価値があると認めてもらう努力が必要です。」
矢野「現在日本の惑星探査はSELENEやLUNAR-Aで月を目指していますが、米国では『すでに月には行った。もし次に戻るなら資源採掘など実用面がなくては。』という論調をよく聞きます。しかしヘリウム3があろうと極地方に多少氷があろうと、真剣に『資源』に着目するなら、地球近傍小天体を調べる方がより有望なのではないでしょうか? 数はたくさんあるし、種類も豊富で、なによりも『重力井戸』は
ISS内部と同じレベル、つまり微小重力環境です。月よりも資源の移動がはるかに楽だと思うんです。 最近マスコミや映画の影響でしょうか、彗星や小惑星は『恐ろしいもの』というイメージが巷に広まっていますが、むしろ小天体は人類の宇宙進出に役立つという視点がもっと必要だと思うんです。そこでアポロが月でやったように、地球近傍小天体の資源調査を有人でやるというのはどうでしょうか?地球に近づいた時に着陸して、遠ざかる前に離陸。その間に調査や採掘を続ける科学基地を設営するという。それこそロボットよりも複雑な判断が必要な仕事です。」
土井「可能性としては面白いですね。しかし現在の有人飛行の技術力はまだそこまで成熟していないのではないでしょうか?人類はその気になれば、月には今すぐにでも戻れます。でもそこで1か月暮らせるだけの技術はまだ持っていません。ISSは今後20年間運用されますが、地球低軌道は常に地上とコンタクトでき、非常事態にはすぐ帰還できる、とても恵まれた環境にあるんです。まずそこで長期間の宇宙滞在が人体に起こす影響を調べます。その次に資源はあるがすぐには地球に戻れない天体に人類が滞在するための技術試験をする。それには月が最適な場所だと思います。月面で地球に頼らず独自に生きられる技術をマスターした後なら、小惑星でも火星でも怖いものなしで行かれるようになります。私は火星や小天体への通過点として、まず月に戻るべきだと思います。やっぱり私は、よくSFに出てくるような月面都市を見てみたいんです。そこへはまず科学者や技術者が行くでしょうが、やがて音楽家や芸術家なども行けるようになるでしょう。」
矢野「先日亡くなられた米国初の宇宙飛行士アラン・シェパードさんの飛行からもうすぐ40年が経ちますが、その頃には彼が体験したようなサブオービタル(注:地球を周回する『衛星軌道』ではなく、一周もせずに放物線軌道で宇宙高度である100kmに達する飛行のこと。途中まで自由落下するので、その間船内は微小重力環境になる。日本ペプシコーラが米国ゼグラム・スペースボエージ社と提携した『宇宙旅行懸賞』ではこのタイプの飛行をする。)のレベルでなら、『宇宙観光旅行』が実現しそうです。このトレンドが順調に続けば、かなり近い将来に宇宙観光は、現在の『砕氷船で南極にペンギンを見に行く』とか、『シェルパに伴われてヒマラヤを登る』といった観光旅行と同じレベルで語られるようになると思うんです。」
土井「当然そうなるでしょうね。それはとてもいいことだと思います。これまでの宇宙飛行士は、誰もが宇宙へ行ける日がいつか来ることを目指してきたのですから、そういう時代の到来は一つの到達点です。ぜひたくさんの人に、宇宙から見る地球の美しさを体験してもらいたいと思います。」
矢野「そうなると、一般の人々の宇宙へのまなざしが、宇宙飛行士が『英雄』だった時代と質的に変化すると思います。それこそ宇宙文明の芽生えというような。」
土井「これまで『宇宙飛行士』という言葉は『宇宙へ行く人』を意味していましたが、いろんな人が気軽にいけるようになると、いずれは『宇宙飛行士』という言葉はなくなるかも知れませんね。」
矢野「そういう新しい時代の『プロ』の宇宙飛行士に求められるものは何だと思われますか?」
土井「より遠くへ行くこと、人類の地平を切り開く役割を担うことだと思います。」
休日はテキサスの大空で
矢野「宇宙から少し離れて、普段の生活について伺います。現在はヒューストンと日本の二重生活なのですか?」
土井「いいえ、大半はヒューストンで過ごしています。日本へは3ヵ月に一回、1〜2週間くらい仕事で帰るくらいです。家族もこちらにおります。」
矢野「週末も様々なお仕事が入るのでしょうが、完全な休日が取れたときの楽しみは何ですか?たしかご趣味で飛行機を操縦されると聞きましたが。自家用機を持っていらっしゃるのですか?」
土井「いいえ、操縦はしますが飛行機は持っていません。ライセンスは単発エンジン機のレベルを、比較的時間の余裕があったコロラド州ボールダーにいた頃に取りました。週2回飛んで半年、合計60時間位で取れました。アメリカの飛行機免許は日本で取るより断然安いし、いいですよ。自動車免許よりは難しいけれど、教習の過程で様々なことを新しく勉強できて楽しいです。」
矢野「現在はどこで飛んでいるのですか?」
土井「今は一ヵ月に一回くらい、JSCに近い二つの飛行場で飛行機を借りて飛んでいます。ヒューストンは夏場に入道雲が出て急に天候が悪化するので、曇りでも飛べるレベルのライセンスまで取った方が楽しめると思います。また春秋の天候は安定していますが、冬の1〜2月は雨期なのであまり飛べません。
でもNASAの宇宙飛行士には、T-38ジェット機に年間50時間乗ることが義務づけられているので、ほぼ毎週エーリントン飛行場から勤務時間内に飛んでいます。」
矢野「よくセンターの上空をすごい速度で上昇していく、あれですか?」
土井「そう、あのカッコイイやつです(笑)。我々は通常、後部座席でナビゲーション、コミュニケーションを担当しますが、上空に出れば操縦もします。」
矢野「もう一つの趣味にはアマチュア天文家として、天体観望があるとお聞きしました。STS-87でも星々を眺められたのですか?シャトルの機内は明るく、目を慣らすのは大変だったのではないですか?どんな工夫をされたのでしょう?」
土井「シャトルは90分で地球を周回しますので、45分毎に夜が来ます。でもご指摘の通りコックピットの中は明るいので星はあまり見えません。そこでミッション中に3〜4回全部の電灯を消して眺めてみました。それでも目が慣れるまで15〜20分くらいかかるので、一回の夜毎に実際に肉眼で眺められた時間は短かったです。双眼鏡も持っていったので、目が慣れるまではそれも使いました。」
矢野「どんな星や星座をご覧になりましたか?」
土井「実は、宇宙にいくまで南半球の空を一度も見たことがなかったので、ぜひ南天を見てみたかったんです。そうしたら初めてオービターの窓から覗いた宇宙には、ちょうど南半球の星空が見えていたんです。南十字星はすぐ分かりました。アルファ、ベータ・センタウリ(注:ケンタウルス・アルファ星。太陽系に一番近い恒星の一つ)も。別の機会には大小マゼラン星雲も見ました。素晴しかったです。」
矢野「メキシコ湾に近いJSC周辺の空気は水気が多くて、あまり観測に向いていないと思うんですが、地上観測ではどこに行かれるのですか?」
土井「ヒューストンは人口300万の街で夜空がとても明るいです。ですから観測は、西の内陸へ行くほど良いと言われています。車で2時間ほど走ると、ヒューストンとサン・アントニオの中間にコロンバスという標高100メートルほどの街があります。よくそこへ日本製の10または12インチのニュートニアン望遠鏡を車に載せて眺めにいきます。20インチのドブソニアンも持っているのですが、大きすぎてまだ自宅から持ち出していません。」
スペースガードは地球の将来を救う活動
矢野「終わりにご自身の信条について伺いたいと思います。これまですでに300人余りの人が宇宙へ飛んでいますが、その中で最も尊敬する宇宙飛行士はどなたですか?」
土井「一人挙げるとするなら、ジョン・ヤングですね。彼は過去に6回飛んでいます。そのうち月に2回、シャトルは初飛行も入れて2回。伝説的な人物ですが、60代後半になった現在でもT-38を操縦し、医学検査も合格している『現役』の宇宙飛行士なんです。そして今も宇宙開発に夢を持っている。彼を超えることは難しいですが、私も元気なうちはいつまでも現役の宇宙飛行士であり続けたいと思います。」
矢野「ずばり、土井さんにとって『宇宙飛行士』とは何ですか? そしてご自身の個人的な最終目標とはどんなものなのでしょう?」
土井「宇宙飛行士は『宇宙への夢』ですね。人は誰しも自分の存在に関する根源の問いを持っていると思うんです。自分はどこからきたのか?どこへいくのか?死とは何か?宇宙とは何なのか?これらの問いはこれまで、宗教家や哲学者や科学者などによって、様々なアプローチで理解されてきました。私は宇宙に行くことでその答えを見つけたいのです。それが最終目標です。」
矢野「では最後の質問です。JSGAには現在日本全国の小学生からお年寄りまで、500名近くの会員がいます。そうした会員の皆さんに何かメッセージを頂けないでしょうか?」
土井「JSGAは、将来ひょっとすると人類を救うかもしれない、とても素晴しい仕事をされていると思います。会員の皆さんにはJSGAの活動を通じて、小天体衝突をはじめ宇宙について考える機会を持っていただき、同時に活動そのものも楽しんで頂ければ、と思います。」
矢野「本日は長い時間お付き合い頂き、どうもありがとうございました。ところでJSCにいらっしゃるとき、いつもお昼はどこで召し上がっているのですか?食堂ではお会いしませんね。」
土井「以前は食堂でしたけど、最近はお弁当をオフィスに持参しています。センターの食堂のメニューはご飯がないから腹持ちが悪くて(笑)。」
インタビューを終えて
盛りだくさんの質問を用意していたので欲張りすぎて、インタビューの予定時間を大幅に超過したのですが、土井さんは終始ものごし穏やかに接して下さいました。しかし、その直後に打ち合わせが予定されていた野口聡一宇宙飛行士をだいぶお待たせしてしまったようで、申し訳なかったです。(野口さん、ごめんなさい。)
私にとっては宇宙研、NRC、JSC全ての大先輩であるばかりでなく、天体観望、絵画など趣味も共通していて、優しいお人柄にとても親近感を覚えました。さらに、「ヒューストンにいる間に飛行機免許を取る!」という私の「密かな(?)野望」を打ち明けたら、帰り際に土井さんが通っている飛行場の飛行訓練学校の連絡先まで教えて頂きました。私がその週末に飛行場へ車を走らせたのは言うまでもありません。
そんな優しい雰囲気に包まれている土井さんですが、質問が深まっていくにつれて、心に秘めた宇宙への熱い思いが段々と表に出て来ました。特に船外活動の体験談や将来の有人活動への抱負を伺った時、心から嬉しそうにお話しになっていた様子が印象的でした。一方で、大学院でのテーマの選び方、NASAルイスへの異動、そして飛行士への転身へと、少年の頃の夢を実現するために、自分に与えられた環境の中で最善の選択を的確に判断してきた研究者気質も浮き彫りになったと思います。また電気推進や有人月面探査の議論などから分かるように、テクノロジーに関する冷静な分析能力と純粋な宇宙への興味や情熱が同居している方なのだな、と感じました。土井さんのような方からご理解とご支援を頂けることは、JSGAの活動も大変勇気づけられます。
さて、後日談ならぬ「前日談」があります。NASDAのヒューストン駐在所には、私が勝手に「ヒューストンの母」と心の中で呼び、いつもお話しできるのを楽しみにしているチャーミングな秘書さん、ローナ・オニズカ女史がいらっしゃいます。彼女は13年前のチャレンジャー事故で亡くなられたスペースシャトル一期生の日系宇宙飛行士エリソン・オニズカさんのご夫人です。インタビュー当日、約束の時間より少し早く着いた私はローナさんから、オニズカ飛行士は亡くなる数ヵ月前に、当時第3次選抜のためにヒューストンに来ていた土井さんを含む日本人宇宙飛行士候補者一期生の方々と会っていた、と教えてもらいました。日系米国人である自分としては父祖の地・日本から早く宇宙飛行士が誕生することを願っていると常々夫人に語っていたエリソン氏は、土井さん達に逢った日の晩に、ついにその願いが実現するんだと、嬉しそうにローナさんに語ったそうです。自分の後に続く者達がいることを確かめてから、彼は旅立ったのです。もしオニズカさんが現在の土井さん達の素晴しい活躍を見たら、さぞかし誇りに思ったことでしょう。そうした先達の思いの綿々としたつながりが、これまでの宇宙開発の歩みを支えてきたのです。私も自分に与えられた役割の中で、オニズカさんから土井さん達に手渡された宇宙開発のトーチを、さらに次の世代へと手渡す仕事をしていきたいと思いました。
最後に応接室を使わせて頂いたNASDAヒューストン駐在所各氏に感謝します。
図1:STS-87のクルー集合写真(写真提供NASA)
図2:国際宇宙ステーションの完成想像図(図版提供NASA)