矢野 創(ジョンソン宇宙センター)
私がヒューストンへ来てから半年もたたないうちに、人類は二度も小天体(分裂した2kmの彗星の破片と、テキサス州サイズ(!)の小惑星が一つずつ)の襲来によって壊滅の危機に遭いました。でもご安心下さい。両方とも、結局はNASAが送り出した宇宙飛行士の英雄的な犠牲によって解決しました。
もちろんこれらは、1998年に上映された映画「ディープインパクト」と「アルマゲドン」の中での出来事です。これらはそれぞれハリウッドのロードショー興行成績のトップに輝きました。おかげで小天体衝突問題が世界中の人々に知れ渡るようになりました。でも、ちょっと気がかりなことがあります。
「あんなことが現実に起こる可能性があるとは知らなかった。それにも増してNASAの科学技術力の凄さに驚いた」。先日アルマゲドンをカイロの映画館で観たエジプト人の友人が電子メールを送ってきました。この反応に私はちょっと驚いてしまいました。
何も私は、例えばスペースシャトルが月をスイングバイするとか、小惑星の上を歩くとか、「世界中」の人が全て「昼間に」小惑星の破壊の成功を見守るとか、そんな科学的あら探しをして、嘆いているのではありません。エンターティメントに物理法則の足枷をくくりつけられないことは、ウルトラマンで育った私達の世代の常識です。それに小天体衝突に関する正しい科学知識は、それこそ当協会などが努力して浸透させていけば良いことです。
私が二つの映画を見終わって感じた共通の疑問点は、「世界中の民衆は小天体衝突に対して完全に無力で、その生命線は政府や宇宙機関や一握りの英雄によって握られている」という描かれ方をしていたことです。だってそれは、現実と正反対の設定ではないですか。実際は、これまで世界中の政府や宇宙機関が小天体衝突の問題に十分な力を注げなかったからこそ、有志の天文学者達が独自に対策を協議し、草の根レベルから注意を喚起していった結果が、現在世界中に広がりつつある、危険な地球近傍小天体の探索活動なのです。
それにNASAが一般市民を二週間ほど訓練して核爆弾を持たせてシャトルに乗っけるという設定は、いくらエンターテイメントでも反則すれすれでしょう。最先端の科学技術をいつでも秘密裏に、そしてオールマイティーに行使できるという、いわば「ゴッドファーザー」的なNASAの描き方は、結果としてトンデモ本の作者達が書く、宇宙人の死体や火星の人面岩やらを隠している「陰の秘密組織」のようなイメージと表裏一体です。これらの映画の観衆は、全ての設定をお遊びとして受け止められるオトナばかりではないでしょう。もしある日突然映画が現実になっても、核爆弾と宇宙機を持っているお上に守ってもらえば大丈夫と、過信してしまう子供達が増えないかどうか。そこが私の一番ひっかかった点です。
もう一つ、アルマゲドンがあまりにもイケイケゴーゴーアクション映画であり、アメリカ白人男性以外のキャラクターのステレオタイプと没個性に終始した描かれ方にも絶望しました。国際宇宙ステーションの建設が始まった時代の宇宙映画としてはあまりに配慮に欠けているというか、そもそも古き良きアメリカンヒーローしか描けないなら、彼らが救った「世界」ってナンなの?という気がします。
小天体衝突問題には国境も、人種も、生命圏の区別すらありません。確かに我々人類は、その危険に気がつき、それがもたらす結果を推測できる、地球上唯一の種かもしれません。でも、まだ我々は(政府や宇宙機関ですら)それを防ぐ手段を完全にマスターしている訳ではないのです。そのことを二本の映画は直視していない。エンターテイメントに徹するなら、私だったらいっそウルトラマンかゴジラに小惑星を破壊してもらうな。 (おわり)