“Houston, I have a problem.

             (第3回)
あの星を採ってくるぞと往くオトナ : サンプルリターンが科学を変える

                矢野 創(NASAジョンソン宇宙センター)


  ( 各写真あるいは文中の図*をクリックいただくと大きな写真と説明があります。)


星屑を捕まえて

 前号に引き続き、再び宇宙港・フロリダ州ケープカナベラルからのお話です。今度はスターダスト、「星屑」という名前の無人探査機の打ち上げです。2月7日の昼下がり。海水浴や魚釣りの客で賑わうココビーチ海岸の北端から、対岸にある無人ロケット発射場を見守りました。真夏のように照りつけるフロリダの太陽に輝くロケットの白い機体が、鮮やかな青空にまっすぐ吸い込まれていきました(図1)。
 この探査機はほうき星(以下、彗星と呼びます)に接近し、表面から噴き出す塵を捕まえて、8年後に再び地球に帰ってきます。2006年に探査機は地球に最接近し、塵の捕集器を中に収めた中華鍋形のカプセルを地上に向かって切り離します。カプセルはパラシュートを開いてユタ州の砂漠に軟着陸し、直ちにテキサス州ヒューストンにあるジョンソン宇宙センター(JSC)の宇宙物質の分析・保管施設、現在私が務めている研究棟に運ばれます。
 これまでの私の任務は、その塵の捕集器の性能を試験したり、採集された1ミリの100分の1程度の彗星のかけら一粒一粒をなくさずに、地球物質からの汚染を抑え、複数の科学分析にかける技術を工夫することでした。もっとも探査機は打ち上がったばかりで、まだ肝心の彗星塵は手元にありません。そのためにスターダストに先駆けて、ミール宇宙ステーションの外壁に同じ塵捕集器を1年半ほど設置しておきました。地球近くの宇宙空間には彗星塵だけでなく、小惑星や月、他の惑星・衛星からの塵や、太陽系の外側から来た「星間塵」(これらを総称して「宇宙塵」と呼びます)、さらに人間の宇宙活動によってどんどん増えるゴミ「スペースデブリ」(例えば、使い捨てロケットの残骸や寿命が尽きた人工衛星などの破片)が存在します。これらがスターダスト探査機での彗星塵同様、ミールの捕集器に衝突します。そこでこれを宇宙飛行士に地上へ持ち帰ってもらえば、スターダストの分析の予行演習ができるのです。
 このように、宇宙空間で採集した地球外物質の試料を地上の研究室に持ち帰って詳しく調べることを「サンプルリターン」と言います。(地球上に落ちた隕石を拾ったり、宇宙基地で新しい結晶を人工的に生成して持ち帰ることは、この場合当てはまりません。)今回はこの「宇宙のフィールドワーク」がもたらす新しい惑星科学について、ヒューストンからの目線で考えてみました。

「キャラメルのおまけ」がもたらしたもの

 「今年は1999年」と聞いて何よりもまず「人類の月面着陸30周年!」と言う方は、アームストロングとオルドリン両飛行士が『静かの海』をぴょんぴょん跳ねる姿を、絶対に生中継で見ていますね? でももし貴方が惑星科学者だったら、さらに「人類初のサンプルリターン30周年!」と答えたいものです。なぜか?アポロ11号が持ち帰った月の石こそ、それまで天文学と地質学という大人の狭間に埋もれて赤ちゃんのようだった「惑星科学」が、独自の成長を始めたきっかけだったからです。江戸時代の日本には、「あの月を取ってくれよと泣く子かな」という川柳がありました。人間の力では絶対手に入らないものをねだって親を困らせる、子供の純朴さをしみじみと詠んだものです。しかし1969年の夏から、この句は意味を失ってしまったのでした。
 アポロによる12人の月面着陸が今世紀最大の出来事の一つであることが疑いないように、それがまた冷戦時代の米ソの宇宙競争における、一発逆転を期した米国の政治的切り札であったことも紛れもない事実です。科学研究の発展は決してアポロ計画の目的ではなく、副産物(しかし実に豊かな)でした。まして月面で石を拾ってくるなどというのは、計画を立案した人々にとっては優先順位の低いアイテム、「キャラメル箱についてくるオマケ」のようなものでした。しかし世の中には、キャラメルよりもオマケの方に価値を見い出す人が必ずいるものです。月の石のサンプルリターンがいかに新しい科学を生み出すかをNASAの上層部に必死に説いたのが、当時JSCで宇宙飛行士の月面活動を訓練していた若い地質学者を始めとする、国内外の研究者達でした。
 アポロ11号が帰還すると米国内は政治的勝利に酔いしれましたが、世界中の人々の関心は宇宙飛行士と共に運ばれた、このオマケ達に注がれました。当時の関心の高さは、例えば米国の学術雑誌として高い尊敬を集めている『サイエンス』誌が、帰還から二か月足らずで月の石の一次分析結果を掲載したことからも推し量れます。さらに翌年の正月あけには、月面試料を配られた150名を超す科学者が研究成果を報告するためにJSCに集まりました。これがその後も毎年ヒューストンで開かれ、その発表が翌年度のNASAの宇宙科学予算の分配に大きく左右すると言われる『月惑星科学会議』の発端です。ここから多くの次世代の惑星探査の構想が生まれ、成果が発表され、新しい研究者が育っていきました。実際、もしアポロ計画がなければ、スペースガード活動は勿論、現在の「惑星科学」そのものが存在していたか甚だ疑問です。いま中学・高校の理科で教わるような太陽系に関する基礎知識の多くは、アポロによって発見、確認されたのです。例えば、惑星や衛星の表面に見られるあらゆるサイズのクレーターが、ほとんどは火山噴火口ではなく小天体の超高速衝突の傷跡であることすら、月面クレーターの周りで採集された試料から衝突でしか生成できない鉱物が見つかるまで、議論に終止符がつかなかったのです。
 結局4年間で6機のアポロ着陸船が月面に降り立ち、合計で382 kgの月の石、地下の掘削コア、小石、砂、塵粒子をJSCに持ち帰りました。一方の旧ソ連も70年から3回、無人探査機ルナシリーズによって300 gの月面試料を地球にもたらしました。当時、世界中のノーベル賞学者や国家元首までがこぞって月の石を見学しにヒューストンを詣でたそうです。その頃若手研究者として試料分析の最前線に携わった、現在50~60歳代のJSC研究者達と話すと、今でもよく当時の様子を誇らし気に教えてくれます。

隕石研究との違い

 ところで皆さんの中には、「地球には隕石や宇宙塵が毎日降っているのだから、宇宙物質を調べるには月まで行かなくてもいいのでは?」という疑問を持つ方がおられるかも知れません。確かに隕石は、この冬に帰国したばかりの日本の南極観測39次隊が新しく集めたものを加えて、すでに全世界で2万個近く発見されています。これまでの隕石研究による惑星科学への貢献は、いくら筆を尽くしても足りません。
 ところが研究が進めば、それだけ弱点も明らかになります。南極の例のように、地球上での隕石や宇宙塵の採集場所には、それぞれに集積する仕組みがあります。そこでは、サイズ、形、磁性、地球への突入速度などによって特定のものだけが生き残ったり、発見されやすくなるなどの偏りが生じます。また、地球環境に汚染されたり、様々な物理的(例えば、大きな宇宙塵は、大気中で一度溶けて再び冷却され、丸く固まる)、化学的(例えば、南極隕石に含まれる水溶性物質は、地球の水氷と反応して溶け出してしまう)な変化も起こります。そして、地上で採集する隕石や宇宙塵の最大の弱点は、それ自体が持つ情報だけでは、生まれ故郷(母天体と呼びます)を特定できないことです。地上で見つかった月や火星の石も全体の0.1%ほどありますが、それらもアポロの試料やバイキング火星着陸船の成果と比べて初めて特定できたのです。残りの99.9%の隕石はほとんどが小惑星から飛んできたと考えられていますが、では望遠鏡で観測される小惑星と地上の隕石を一つずつ結び付けられるかと言うと、まだほとんどできていません。

 そこで「サンプルリターン」の出番になります。なにより母天体が明らかな試料を選んで採集できる点が、偶然の発見に頼った隕石研究と決定的に異なります。これは例えば、幾つかの山から流れる小川が合流した下流の河原でいろんな色の小石を拾って、各々の山に埋もれた鉱物を推定するのに対して、一つ一つの山に行き、直接山肌を削ってそこに眠る鉱物を調べる位、質の異なるアプローチです。もっとも両者に優劣はなく、むしろ相補う関係にあります。例えば後者の裏付けがあってこそ、前者の統計的な調査が活き、地域全体での鉱物の埋蔵量の比率を推定できるようになる訳です。

片道探査との違い

 また、これまでの惑星探査機は、調べたい物理量を測る装置を全部搭載して、二度と地球には戻らない「片道探査」が主流でした。意外なことに、アポロとルナ以来サンプルリターンの惑星探査は、冒頭のスターダストまで30年近く行なわれてきませんでした。ところが表1をご覧ください。今後10年間に、現在計画中のミッションを含めて6つものサンプルリターンが予定されています。この理由はいくつか考えられますが、各分野で隕石研究のような博物学型の体系がほぼ完成し、母天体の情報が直接必要になってきたこと、後述する試料の捕集技術や研究室での分析技術が成熟したことが背景にあります。しかし最も直接な理由は、90年代初頭からNASAの惑星探査の戦略が大きく様変りしたことでしょう(これも後述します)。
 火星や彗星まで行って地球に帰ってくるためには、「幕の内弁当」のようにあらゆる観測装置を詰め込んで探査機を重くすることは出来ません。ところがサンプルリターンでは分析装置を詰め込む必要はありません。全ては地球に帰ってきてから研究室で行なえば良いのです。しかも試料を完全に保存できれば、時代が移っても常に最先端の分析装置を使った研究ができます。つまり科学成果は、探査機が開発された当時の技術水準に縛られません。現にアポロの月面試料は過去30年間に発達した分析技術によって、世代を越え、今でも新しい成果を生み出しています。さらに試料を分配すれば、打ち上げ国に限らず、ミッションに参加できる研究者の輪が世界中に拡がります。

 ただし、サンプルリターンにも弱点はあります。まずとにかく行ったら帰ってこないとお話になりません。ミッションの成功までに、片道探査の倍以上のリスクと運用期間がかかります。それからフレッシュな宇宙物質を地球環境に持ち込むわけですから、もしかしたら私達がまだ知らない危険が待ち構えているかもしれません。

サンプルリターン成功の鍵:キュレーション

 サンプルリターンの科学研究が成功する鍵は、先に述べたような地球上での試料の初期分析、分類、カタログ化、保管、そして外部の研究者への分配がどれだけきちんとできるかです。このような一連の作業を「キュレーション」と呼びます。一般の図書館や博物館でも、蔵書や展示物について同じ様な作業をする人々をキュレーターと呼びます。JSCの現「地球科学/太陽系探査部門」は米国最大の宇宙物質のキュレーション組織・施設として、月面試料に始まり、その後も南極隕石や宇宙塵、地球低軌道から回収された人工衛星の表面にできた衝突痕等の試料を、この30年間取り扱ってきました。そしてスターダストを始め、ジェネシスが捕まえる太陽風粒子、アラジンが持ち帰る火星の月フォボス、ダイモスの破片、そして火星表面の土壌など、今後NASAが集める宇宙物質は全てJSCに集められ、キュレーションが行なわれる方針になっています。
 文字にすると簡単ですが、数千の隕石や宇宙塵を一つ一つ分析してカタログを作る作業は、地道で根気の要る、しかも細かいノウハウや特殊な道具に溢れた「職人業」の世界です。例えばJSCでは1981年から、高度約20 kmの成層圏に飛行機を飛ばし、地球に降り積もる1ミリの100分の1ほどの宇宙塵を採集しています。飛行機が空気を掃く間、ねばねばしたオイルを塗った捕集板を開いて、ぶつかってくる宇宙塵を捕まえるのです。その後捕集板はクリーンルームに運ばれ、高倍率の顕微鏡の下で、一つ一つ取り出されます(図2)。この時、人間のまつげ一本を串先に付けた「マニピュレータ」を使います。しかも比較的髪質の固い、特定の人物のものを!いろいろ試した結果、先端の太さ、強度、しなり具合など、その方のまつげが一番優れていたのだとか。さながら米粒の上に顔を描く、中国の伝統芸能の世界です。

シャトル時代が育てた宇宙塵採集技術

 80年代にスペースシャトルの運用が始まると、地球の大気に突入する前の宇宙塵を地球低軌道で捕まえて、地上に持ち帰ることができるようになりました。また長期間の運用が終わった人工衛星を回収して、その表面にできた宇宙塵による衝突痕の精密検査も盛んに行われるようになりました。いわば地上での隕石や宇宙塵の採集と、新世紀のサンプルリターンとの中間に当たります。この分野でもJSCは中心的な役割を果たしてきました。
 低軌道で採集された宇宙塵は超高速で衛星に衝突するので、その痕跡からは、地上の試料にはない軌道情報(速度、飛来方向、衝突時刻)や衝突物の物性、形も求められる可能性があります。日本でも1996年1月、10ヵ月の宇宙での仕事を終えたSFU衛星がシャトルで回収されました。その衝突痕検査は、日本では初めての宇宙塵の直接計測・採集の機会でした(図3)。その後3年間で700以上もの衝突痕が克明に記録され、地球周辺の微粒子環境の理解に大きく貢献しました。
 しかし衝突速度が速すぎると、宇宙塵は昇華やプラズマ化して雨散霧消する場合があります。そこで、衝突物をできるだけ壊さないように捕まえる工夫が必要になります。冒頭でミールに微粒子の捕集器を載せたとご紹介しましたが、実はそれが、この目的を達するための物質「シリカエアロジェル」だったのです。エアロジェルは、一見杏仁豆腐のような半透明の物質で、空気の10~100倍足らずの重さしかありません。これに高速の粒子がぶつかると、粒子はエアロジェルをどんどん堀り進んで運動エネルギーを使い果たし、やがて人参形のトンネルの先端で止まります(図4)。スターダストもこうやって彗星塵をエアロジェルの中に閉じ込めて、1000粒以上を地球に運んでくると期待されています。私は日夜この不思議な物質と格闘して、ミールにぶつかってきた小さな宇宙塵やスペースデブリを取り出し、分析しています。

彗星とNEO : 宇宙塵の母天体を訪ねる

 ところで無人探査機によるサンプルリターンは、アポロの時のように100 kg単位の岩石を運んでくることはできません。スターダストは勿論のこと、日本の宇宙科学研究所が準備している地球近傍小天体(NEO)のサンプルリターン探査機ミューゼス-Cやアラジンで回収される衝突破片試料でも、そのほとんどが微小な粒で、試料全体の重さは数グラムにも満たないのです。その取扱い、汚染の防ぎ方、初期分析に必要な技術などは、隕石試料よりもはるかに宇宙塵に近くなります。そこでこれまでJSCを中心として行なってきた、成層圏や地球低軌道で採集された微小な試料のキュレーション経験が活かされる訳です。
 つまり、彗星や小惑星のサンプルリターンで得られる試料は「起源が明らかな宇宙塵」です。河原の小石の例のように、これによって、今まで蓄積された膨大な「起源が分からない宇宙塵」試料を彗星起源か小惑星起源かそれ以外に分類すれば、各々が地球へ降る割合を直接求められるようになります。

牛丼式惑星探査

 確かに過去の惑星科学のアプローチを大きく変えるサンプルリターンですが、それがここに来て急に注目されるようになった最大の理由は、むしろNASAの戦略の転換にあるとすでに述べました。それをもう少し詳しく説明すると、次のような話になります。
 アポロ計画の華やかさの陰に隠れて見落とされがちですが、最初に月を目指した探査機は米国のパイオニア0号で、これは1958年8月、世界初の人工衛星スプートニク1号からわずか10ヵ月後のことです。さらにスプートニク1号から3年後には火星、3年4ヵ月後には金星を目指す惑星探査機の打ち上げが、旧ソ連によって試みられています。これらは全て打ち上げ失敗に終わっていますが、重要なのは米ソは宇宙開発の当初から地球圏を脱して、太陽系を旅する志を持っていたという事実です。1973年、アポロと同時期にマリナー探査機シリーズが終了するまでわずか15年の間に、米国は惑星探査に必要な技術や経験をほとんど習得しました。しかしその後NASAの予算では、スペースシャトル計画が占める割合が膨らんでいきました。同時に外惑星系を目指すミッションが増えたため、以前のように頻繁に小型探査機を打ち上げられなくなり、ひたすら少数・巨大化の道を歩むことになりました。まるで白亜期の恐竜のように。
 それが90年代初め、ダニエル・ゴールディン現NASA長官の登場と共に一変しました。彼の就任直後、年一回のペースで打ち上げられる公募型惑星探査機シリーズ「ディスカバリー」と、新しい惑星探査技術の開発を目指した指名型技術試験機シリーズ「ニュー・ミレニアム」が打ち出されました。それはちょうど恐竜絶滅の後に急速に繁栄した、小型哺乳類の台頭のようでした。
 ディスカバリーシリーズの発想は、ミッション毎のコストを大幅に減らす代わりに探査機の打ち上げ回数を増やす、というものです。そのキャッチフレーズが、日本の牛丼屋さんと同じ"Faster, Better, Cheaper"(速い、うまい、安い)の3拍子でした。「速い」は、選抜から打ち上げまで3年程度という短期間。「うまい」は、新しい科学成果は勿論、ミッション予算の一部を「アウトリーチ」と呼ばれる広報、教育活動に必ず分配して、成果を広く国民に報告することの義務付け。そして「安い」は、開発、組み立て、打ち上げなど全て込みで1.5億ドル(180億円)未満の低料金、という厳しい枠組みの中で競争させるのです。それでもほぼ2年おきの公募には、毎回全米から数十もの応募が出てきます。チームは必ず産官学一体であることが条件なのにこれほどの応募があることに、私は米国大学における惑星科学の裾野の広さを感じます。
 ただ速さと安さばかり追及すると、一番お金のかかる打ち上げコストを下げるために、探査機は小型化して搭載装置も減らされ、結局科学目標も小粒になる危険があります。実はそれを逆手にとったのが、たとえ微小な試料でも研究にブレイクスルーをもたらすサンプルリターンなのです。開発コストのかかる新規技術を使わなくても、地上の分析装置の進歩がそれを補う成果を出してくれるからです。
 こうした競争に勝ち残ったミッションが、96年の小惑星エロス探査機NEARを皮切りに、小型ローバーで有名になったマーズパスファインダー、月の極地に水氷の存在を確認したルナープロスペクター、そしてアポロ以来のサンプルリターン機スターダストです。さらに太陽風サンプルリターン機ジェネシスが2001年に、3つの彗星を次々に訪問する探査機CONTOURが2002年に、打ち上げを控えています。火星衛星サンプルリターン機アラジンは現在、最終選考を受けています。彗星核に着陸して内部の氷を採集しようとするシャンポリオン探査機は、ニューミレニアムシリーズの4号機です。これらによって、米国は瞬く間に再び惑星探査の黄金時代を築きつつあります。

ディスカバリーは日本が元祖?

 一方、日本の宇宙研の科学衛星はおよそ開発期間5年、総額200億円というレンジです。ディスカバリーシリーズが出てきたとき、「"Faster, Better, Cheaper"は日本のお家芸」と、国内の研究者は胸を張ったものです。確かに、宇宙研ミッションの科学成果は米国でも極めて高く評価されています。関係者は大いに誇りに思うべきでしょう。しかしだからといって、米国が単純に日本を真似した訳ではありません。むしろNASAは「大恐竜時代」の欠点を反省し、アポロ時代以前の、小さいが矢継早に打ち上げられた惑星探査機の戦略に「先祖返り」して、それを大学や企業など外部の研究者同士の競争(いわば「民間活力」)で実現させたことが、ディスカバリーの画期的な所なのだと思います。
 その証拠の一例として、宇宙研の月探査機ルナ-Aについて考えてみましょう。月面に複数の地震計を打ち込んで内部構造を調査するこのミッションは、まさにテーマがよく絞り込まれたディスカバリー型です。しかし開発期間はミッションが承認された1989年から当初の打ち上げ予定だった1995年まで、6年間を要しています。その後も開発が延び、現在は今年中に打ち上げが予定されています。選抜から10年目です。また関係者によるとミッション予算は、総額約1.5億ドルだそうです。但しここには100人余りの参加者の人件費は勘定されていないので、彼等の10年分のお給料を合わせると、ディスカバリーの上限額を越えてしまいます。一方、既存の機器を組み合わせたルナープロスペクターは全部で6300万ドルで、ルナーAの3分の1です。もっとも、ルナーAは新規開発の技術の塊なのでむしろニューミレニアムに近く、ディスカバリーと単純に比べるのは少し酷なのですが。要するに、先のキャッチフレーズの三拍子のうち、「速さ」と「安さ」については、すでに日本は米国にお株を奪われてしまったのです。かくなる上は最後の砦「うまさ」を死守して、日本の惑星探査は一矢報いなければなりますまい。

火星生命のキャッチボール

 こうしたNASAの新しい惑星探査の戦略には、もう一つ大きな潮流があります。ロボットと有人飛行を段階的に組み合わせた火星探査です。火星探査自体はNASA設立直後からの一大テーマで、過去に大小様々な計画が浮かんでは消えました。しかし、その最大の関心事は一貫して火星生命の発見でした。
 1975年、バイキング着陸船が火星表面の土壌中に生命の形跡を探しましたが、結果は「良く分からない」というものでした。その後世の中では「火星は生命がいない、つまらない惑星」という雰囲気に支配されてしまい、「火星派」はしばらく臥薪嘗胆の歳月を過ごしました。ところが1996年、南極で発見された火星隕石に、バクテリアの微化石に似た模様と太古の生命活動の痕跡らしき特徴を発見した、とJSCの科学者が発表しました。間髪を入れずにNASAは、今後15年程度で火星生命の論争(本当に昔いたのか?今もいるのか?いるなら、どんな生命体が、どこに? )に決着をつけるため、今後約2年毎に探査機を火星に送ると発表しました。たった一個の石が、米国の惑星探査の流れを大きく変えたのです。
 とはいえ1週間ほどのアポロと違って、火星までの往復は2〜3年かかるため、今すぐに有人探査をという訳に行きません。また現地で科学目的を達成するには、クルーとして地質学者、生物学者を連れていくだけでなく、最高峰の分析装置を何種類も積み込まなくてはいけません。そこで再び無人探査機によるサンプルリターンの出番となります。現在検討されている案は、2003、2005年にそれぞれ米国とフランスによって打ち上げられる二機の探査機を使った、「宇宙キャッチボール」ミッションです。
 まず2003年発の探査機が火星に着陸し、97年のマーズパスファインダーで使われたローバーの「孫世代車」を走らせます。これは地表の石や土壌を拾う腕を持ち、集めた試料を野球ボール大の容器に詰めて、着陸船に持ち帰ります。試料を受け取った着陸船はこれを火星の周回軌道まで打ち上げます。続く2005年発の探査機には、地球帰還用カプセルを積んだ火星軌道を巡る母船と、着陸船が積まれています。着陸船はドリルを持ち、地下深くから試料を掘り出して容器に詰め、やはり周回軌道まで打ち上げます。母船は二つの試料容器を宇宙空間でキャッチして、地球への帰路に就きます。地球に最接近したら、試料容器が入ったカプセルを切り離し、スターダストやジェネシスと同様に、ユタ州の砂漠に軟着陸させるのです。

宇宙検疫所

 しかし、今度はもしかしたら「ナマの生物」が幽閉されているかも知れません。そこで、カプセル回収からJSCやその他の研究室に運ばれる間に、火星生命がいるかどうか、そしてそれが地球生命に有害かどうかを試験する作業が入ります。ちょうど空港や海港で、外国から運ばれた土壌、植物、生鮮食品が入国先で作物被害や病気を蔓延させないように調査したり、特殊な風土病や疫病を持つ国からの入国を制限したりするのと同じです。こうした作業を「検疫」と言います。大航海時代に世界中に広まった梅毒や、今世紀後半に輸血や体液感染で一気に広まったHIVも、元々は限られた地域の風土病でした。実はこの議論は火星だけでなく、どんな天体にも当てはまります。そこで、初めてのサンプルリターンの際には必ず「宇宙検疫」の洗礼が必要になります。
 史上初めての宇宙検疫が行なわれたのも、やはりアポロ11号です。 今でこそ月面にはうさぎは勿論、最も下等な生命体すら繁殖してしないと考えられていますが、当時の医学関係者は「何がいるか分からない」と戦々恐々としていました。実際70年代には、宇宙実験で突然変異した生物が地球に帰還して人類を絶滅の淵に陥れるというパニック映画『アンドロメダ病原体』がありました。こうした国民の不安を拭うためにも、当時NASAは、安全が確認されるまで月面試料は全て「危険物」とみなして取り扱う方針を採用したのです。
 地球に帰還したアポロ11号宇宙飛行士はしばらくの間隔離されて、あらゆる医学試験を受け、持ち帰った道具は全て殺菌されました。当時からJSCに勤めているベテラン研究者によると、センター内の分析施設に届いた月面試料は直ちに「グローブボックス」と呼ばれる複層のゴム手袋がついた真空チェンバーに移され、研究者は試料に触れずに写真を撮ったり、重さや大きさを測りました(図5)。しかし検疫の担当者はそれでも安心できず、研究者には施設に入る際に必ず温水シャワーで全身を洗い、全裸のままクリーンルーム用の着衣室に移動して着替え、さらに空気シャワーを浴びることを義務づける念の入りようでした。ところが真空チェンバーとクリーンルームの間には大変な気圧差があるため、手袋から頻繁に気密がもれてしまいました。その度に分析室にいた研究者全員が仕事を中断し、殺菌と健康診断を受けるという不便さだったそうです。今では笑い話ですが、当時は「隔靴掻痒」の見本のような煩わしさに、研究者と検疫担当者はとても仲が悪くなったとか。結局、「月試料は安全」と判断されたアポロ12号からは、研究者の殺菌作業を大幅に簡略化し、チェンバーの内部を岩石と反応しにくい窒素ガスで満たすなどの改良も行われました。

火星バグの呪い?

 このように、サンプルリターンは惑星科学者ですら普段あまり考えたことがないような課題も抱えているのです。そしてタブロイド紙にとっては、魅力的(?)なモチーフです。実は、ALH84001隕石の発表があって間もなく、JSCの分析チームのメンバーが相次いで「入院」しました。これを知ったある新聞は「火星バグの呪いだ!」と、(なぜか蝿の頭の拡大写真と一緒に)1面に掲載しました。確かに一人は生来の持病から開胸手術をしましたが、他の二人は風邪とオメデタで病院の門をくぐったのです.....
 レストランの厨房やちょっとハイテクなお手洗いを思い出せば分かりますが、日常行なわれている手軽な殺菌方法は、加熱したり紫外線をあてることです。実は地球に降り注ぐ隕石や大きな宇宙塵は、その両方をたっぷり全身に受けて、さらに地球大気との摩擦で黒焦げにされてから、地表に達します。テキサスステーキだったら誰も食べないような、過剰な「ウェルダン」の状態なのです。そんな隕石に閉じ込められた火星生命の「化石」ですら、これほど話題になるのです。新鮮な火星の土壌がそのまま惑星宅急便で届いた日にどんな見出しがタブロイド紙を飾るかは、推して知るべしでしょう。
 確かにNASAは、火星サンプルリターンが地球に戻る2008年の宇宙検疫に、アポロよりさらに厳重な取り扱い施設と精密な安全試験を要求しています。これはエボラ熱のような最高の致死性を持つウィルスを研究する施設と同じレベルの厳戒体制で、研究者は空気も外部から引いたチューブから調達するような「宇宙服」を着用して試料を取り扱います。そのような施設はまだJSCにはなく、世界中でも幾つかの医療・疫病研究所しか運用していません。火星サンプルリターンを成功させるには、したがって火星探査機自体にも劣らない準備を地球で行なうことが不可欠なのです。ディスカバリーとはかなり趣が違いますが、これも今までになかった惑星探査の新しいチャレンジと呼べるでしょう。

泣く子は育って

 以上、駆け足で新世紀初頭の惑星探査の主役であるサンプルリターンをご紹介してきました。それにしても私は「月の石」と聞くと、あの川柳を江戸時代に詠んだ御仁をあと300年ばかり生かしておいてあげたかった、と思います。30年前の良く晴れた夏、クリアレイクの湖畔にもたらされた月の石をこの御仁に見せたら、そして今後地球にもたらされる宇宙物質のバラエティを教えたら、彼は一体どんな一句をひねったことでしょう?そこで拙者代わりて詠める。


  あの星を採ってくるぞと往くオトナ


お粗末。でも、そんなオトナになれた、現代に生まれて良かった。 (次号に続く)


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