1999年7月、となれば忘れてならないのがノストラダムスの大予言である。しかしはずかしいことに筆者はノストラダムスの大予言なるものについて、ほとんど素養がなく、それは世紀末に人類の存亡に関わるような事件が起こることを、明解に予言しているものと思っていた。しかし、何気なく目を通した幾つかの諸説なるものを見て、それが実に不可解というか、奇怪というか、不思議なものであるのを初めて知った。そしてインターネットで関連のホームページにアクセスしてみて、さらに驚愕した。国内、国外を問わず、何と多くの人が関心をもっていることであろう。真摯におのが不明を恥じた次第である。
ただどうもなさけない話であるが、初心者がその道に詳しい方々のご高説を拝見しても、結局何を予言しているのかよく分からない、というのが感想である。しかも、これが不吉な予言なのか、どうかということすら、はっきりしなくなってしまった。それにもかかわらず、ノストラダムスに関しては「予言」ではなく、「大予言」というのはどうしてなのであろうか。
有名なあの四行詩(右上の図)を解釈するには「恐怖の大王」、「アンゴルモア大王」、そして「火星」という、三つのキーワードが何を意味しているか、ということを理解する必要がある。しかも、これらを正しく理解するには、原語の詩を正しく理解しなければならないこと、また関連する多数の他の四行詩も勉強して、総合的に考えなければならない、というのが、専門家のご意見のようである。
これは大変である。ノストラダムスにそれほど時間のさけない人にとっては、悲しい話である。しかし、一応自分なりの理解を持ちたい。そこで、努力をすることはしないが、知ったかぶりはしたい、という本性がむくむくと頭をもたげ、厚顔無知なる解釈、いや講釈というのを試みることにした。
「恐怖の大王」、「アンゴルモア大王」、「火星(マルス)」というキーワードをそれぞれA、B、Cと置いてみる。なぜこのようにするかというのは、それぞれの語にたいする多くの識者の解釈が実に広範囲にわたり、非識者としては、何とでも言えるのではないか、という結論に達したからである。
ます最初に考えるのは、この詩は1999年7月、Aが起きると、Bが起き、その結果Cが起きるということを言っているのではないか、ということである。ここでA、B、Cの事象が、いわゆる科学的常識なるものでその因果関係を理解できるものであるとすると、これは「春風が吹けば、桶屋が儲かる」と同じ論理になる。Aが決まれば、B、Cは何とか見当がつく。逆にCを決めてやると、A、Bが幾つか予想できるわけである。どうも多くの方々は意識的にか、無意識的にかわからないが、Cのところに「人類の滅亡」、「国の滅亡」などという不吉な事象に関連させることが多いようである。そうするとAなるところには核戦争、異常気象などの自然の異常現象、公害、そして本命の天体の衝突・・・、などが浮かんでくることになる。もちろん、最も、最もらしいのはこの予言を宗教、特にキリスト教に関するものであるとする考えであるが、これは筆者の理解のおよぶところではない。
Cに人類の明るい未来を当てることもできる。「火星の支配」なるものを、このように解釈する説明を考えれば良い。ただその場合、Aの特定がややこしくなりそうであるが。
ところで、偉大なる予言者がそんな単純なことを言ったのであろうか。我々の常識をはるかに超えた深淵な内容であるとすれば、とりあえず我々はA、B、Cの事象をそれぞれ独立に、解明しなければならない。他の四行詩を調べる必要があるわけであるが、どうも現在の専門家の主張ではユニークな解が得られていない。
いささか挫折感にとらわれているとき、大変にわかりやすい説を見つけた。「ノストラダムスの世紀末予言がついに解読された!」と題するホームページによるとそのこころは、「1999年8月18日、20億人を死に追いやるに足るプルトニウムが空から降ってくる」というものである。なぜ7の月が8月になったのかなど、詳しい理由は省略させていただくが、詩の最後の行は「前に、後に幸福に支配するためのマルス(がある)」と訳さなければいけないのだそうである。そして三つのキーワード、マルスは「火星ミッション」、アンゴルモアが「宇宙探査機カッシーニ」、恐怖の大王は「プルトニウム」となるのだそうである。
1997年10月、タイタン4型ロケットで打上げられた重量6トンというこの巨大な土星探査機は、土星の輪が二重になっていることを発見したイタリアの天文学者にちなんで「カッシーニ」と名付けられた。総費用は惑星探査史上最大の34憶ドル、「早く、良く、安く」などという昨今のご時世からは、夢のような宇宙船である。土星は太陽から遠く、太陽電池が使えないためプルトニウム電池を搭載したため、打ち上げ時の事故を心配して、大きな問題にされた。確かにこの探査機は金星、地球、木星のスイングバイでエネルギーを補給し、2004年に土星に到着することになっている。そして今年の8月18日、地球から1200kmほどのところを通過するはずである。その時、宇宙船が誤って地球に衝突、搭載されたプルトニウムは地上の20億人を破滅させるというわけである。
それに、現在はNASAを中心に火星ミッションが目白押し、カッシーニが地球にスイングバイする前後に、多くのミッションがならんでいる。うーん、なるほど。
直接土星まで行けるような大きなエンジンを装備すれば良かったのに、などと後悔してももう遅い。しかし、こんなせこい技術的ストラテジーまで、数百年前に見通していたとは、さすがである。筆者は将来は豪華惑星観光宇宙船が就航して、ゆったりと美しい土星を見る旅が実現すると信じていた。それもかなわず人類は終わることになるのかも知れないとは・・・、しかもそれは来月に起こる。
しかしこれも一つの説なのだ、と気を取り直した上で、少し客観的に見ると、この大予言に関して、共通の認識ができているのは、今年何かが起こる、ということだけのように見える。ただなぜ「大予言」というのかが、少しわかったような気がする。これだけ世界中で共通の関心をもたれていたら、おもわず「大予言」と呼びたくなる。「大予言」だからこそ、こんなに熱心に謎解きに挑戦するのだ。ただこれくらい解釈の自由度が許される予言は、本当に予言なのかな、という気もする。「予言」が何を予言しているのかを予言しているうちに、1999年が終わってしまうのではないか、という危機感も感じた。
( 由紀 聡平、 イメージはJona )
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