印象的だったアリゾナクレーターのリムツアー

     −「アリゾナクレーターツアー探訪と天体衝突の旅」を振り返って−


                “Against the window”
 クレーターの縁に沿って歩き出した途端に、猛烈な風の歓迎を受けた。遠くから見た感じと異なり、道はかなり起伏が激しい。何も知らずにここに立ったとしたら、この風景を何だと思うだろうか。歩きながらふとそんなことを考えた。間近に見るその巨大なくぼみは、出来て間もないようにも見える。「昨日のことのように思えるけれど、それは遠い、遠い昔のこと・・・」、好きだったボブ・シーガーの「Against the window」を思い出した。過去の痕跡を消す地球の風化作用のことはよく聞く。しかし、こんな強風を5万年にもわたって連日受けていても、いまだに新鮮な姿をよくぞとどめていてくれたと、感動がこみ上げてきた。

                               (クレーター全景:撮影 岩下由美)


[第1日(3/4)] アリゾナ州セドナ

 成田を夕方出発して、ロサンゼルス経由で午後1時過ぎ、フェニックス空港に到着すると「Coach USA」と書かれた大型バスはすでに待機していました。ゆったりと快適なこのバスで走ること1時間半、セドナのシンボル「レッドロック」と呼ばれる赤い岩山が姿を現しました。
 フラッグスタッフより約40km南に位置するこの街は、ゴルフ場が多く、山へ行けばスキーも楽しめ、3月は比較的安定した気候のベストシーズンだそうで、避寒客で賑わう人気のリゾートタウンでもあります。私達一行はアップタウンにあるレストランで、いかにもアメリカ西部的な「ポークリブ」の夕食をとりながら、自己紹介とツアーへの期待などを披露し合い、旅の成功を祈りました。

[第2日(3/5)] アリゾナクレーター

 ところがその晩からこの時期には珍しく雨が降り始めました。 翌朝にはさらに激しい雨。それはまもなく雪に変わり、私達の期待を大きく裏切ってくれました。2日目はツアーのハイライト、クレーターを歩く日でもあります。 それなのにこんなにひどい天候では絶望的としか思えません。 出発したバスは89号線を北へ進みフラッグスタッフに向かいました。雨はやがて雪にかわり、クリスマスカードにあるような白銀の世界になっています。 美しいけど気持ちは暗い・・・。
 それでも車内ではJSGAの松島さんが作成して下さったツアー用資料を広げ、レクチャーが始まりました。JSGAの講演会にはほとんど参加した事がない私にとって、このレクチャーはありがたいものでした。フラッグスタッフの街を通り過ぎると、バスは東方向へ走り続けました。いつのまにか雪景色は消えています。空はどんよりとした寒空。右も左もアリゾナ砂漠と地平線だけ。ラッキーな事に雲の切れ間や進行方向に薄日が差し始めて来ました。やがてクレーターに到着する頃は、みんなに笑顔が戻ってきました。
 ビジターセンターの玄関を入り、ホールに向かって階段を上ると、大きな鉄隕石の展示が目に入りました。Holsinger Fragment、見つかっている中では最も大きな隕石の破片です。自由に触れることもできます。そして、展示ホールの窓から初めてクレーターの全景が目に映ったときには、その壮大さに思わず感激しました。


 ホール前にて、リムツアーのガイドから、クレーターおよび隕石についての話しを松島団長の通訳を交えながら聞き、いよいよクレーターを一周するために出発しました。クレーターの縁を時計まわりに一周するようです。岩のかけらや隕石鉄粉を踏み、クレーター内や広大なアリゾナ平原を展望し、五万年前に宇宙空間から飛来した隕石の衝突に思いをはせました。
 歩いても歩いても、ビジターセンターの位置が変わらず、あまり進んでいないような錯覚に陥りました。 一般のビジターはここまでと言う箇所に柵がありそれを越える時は、特別許可を得ていると言うちょっとした優越感を感じました。さえぎる物が全くないので、強風で飛ばされないよう立ち止まりながら、足を踏ん張って進みます。それでもガイドのリチャードに言わせると「今日の天気はベリーマイルド」なのだそうです。ゴツゴツとした岩場ですがちゃんとトレースが着いており歩きやすくなっていました。途中風が止み、陽が差しているところでリチャードさんがポケットから磁石を取り出し、地面に着けて見せてくれました。 隕石の砂鉄(ニッケル鉄)がたくさん付着するではありませんか。みんなワァーワァー歓声をあげ子供のようでした。


 そろそろお腹が空いたな思った頃、ランチを取る許可が出ました。廃屋となっている、かつてのガラス原料であるシリカ採掘関係者の生活の場が、昼食の場所でした。バケットにレタスとハムを大胆に挟んだだけのパンは寒さで堅くなっていましたが、クレーターを歩けた事への満足感からか、このパンがとても美味しく感じられました。 食べてる最中も風、雪、アラレが入り交って容赦なく私達たたきつけて来ます。 と思うと突然ピタリと風が止み、陽が差し込むと春の日だまりのよう・・・ホッとしているとまた横殴りのアラレ。目まぐるしく変わるこの天気を「ベリーマイルド」だと言うのですから「ベリーバッド」な天気など想像もできません。


 午後2時、ビジターセンターに到着。歩き始めてから2時間半後でした。思ったほど険しい箇所もなく全員無事リムツアーを終える事ができました。この日は化石の森に近いホルブロックと言う町で宿泊。夕食の中華料理店でリムツアーの成功に乾杯し、みんな口々に「感動した」と言う感想を述べた事は言うまでもありません。


[第3日(3/6)] 化石の森/北アリゾナ博物館

今回の旅程でひそかに楽しみにしていた訪問地、それがこのPetrified Forest(ペトリファイド・フォレスト)=化石(珪化木:ケイカボク)の森です。 珪化木とは、太古の森林で倒れた木が洪水などで流され、下流の湿地帯で水の底へ沈み、堆積物に覆われて水の中に溶けた鉱物(主に珪酸分)がゆっくりと木に染み込み、長い年月を経て、木全体がほとんど鉱物に置き換わってしまったものです。 国立公園のバスツアーが始まり、広大な草原を走っていきます。「いったいどこまで行くの?」と思うくらいこの公園は広く、すぐにはポイントに到着しません。
初めにカチナ・ポイントという、昔ルート66沿いの宿屋があった場所へ着きます、ここに化石はありませんが、不思議な景色(ペインティッド・ディザート)が広がっていて、なかなか魅力的です。
次にプエルコ・プエブロと言う、ネイティブインディアンの祖先が住んでいた遺跡や、ペトログリフ(古代人の描いた岩絵文字) が描かれた一帯に到着します。そう、この公園には化石の森だけがあるのではありません。他にも興味深い見所があるのです。
そして次ぎはいよいよ珪化木の転がるクリスタル・フォレスト。続く草原の先に、ぽっかりとその場所は広がっていました。「“化石の森”、ほんとにそんなにごろごろしてるもんなんだろうか。」半信半疑でやってきた私の目の前には、異様な光景がひろがっていました。無造作にゴロゴロゴロと、化石になった樹が転がっているのです。 そして足元には、砕けた樹の化石が無数に散らばっています。 ただの木屑と見過ごしてしまいそうなのですが、これもやはり化石の木屑なのです。「こんなに樹の形をして、年輪や皮まで残っているのに。」おもわず、手にしていた一眼レフをそれらに向けました。
乾湿と寒暖の差で割れた断面には、めのう化した組織がのぞいています。(珪化木にはオパール化するものもあるそうです。)訪ねた日はあいにくの天気で、雪がちらつき断面が濡れ、色は一層鮮やかに見えます。樹の皮は、暖かそうに見えても触ってみると冷たく、叩けば硬い音がします。この場所には私の腰の高さほどのものが転がっていますが、公園内には背丈より大きなものもあります。ふっと、この巨木が繁茂していた頃が見てみたくなりました。(誰か、タイムマシンを作って下さい。)

この日の午後はローエル天文台を訪問する予定でしたが、大雪のため天文台は閉鎖。そこで北アリゾナ博物館の見学となりました。

 <余 録>    ナイトキャップ

 成田からロサンゼルスを経てフェニックスまでの待ち時間を含めて14時間、更にバスに乗り換えて更に4時間で漸くセドナのホテルに着いた。直ぐ風呂を終えてスーツケースの整理をしていたら電話のベルが鳴った。
 「225号室の大石ですが山田さんは居ませんか」
 『今、入浴中です』
 「ナイトキャップをやるから来るように伝えて下さい」
 私はナイトキャップ(寝る時頭に被る網状の帽子)を取りにわざわざ山田さんが行かなくても私が行けば良い。それに大石さんもナイトキャップの配布は早く終えた方が良いだろうと思い
 『私が行っても良いですか』
 「ええ、構いません、どうぞ」
 私は直ぐ湯上がりの軽装にスリッパのまま225号室に急いだ。大石さんは私を部屋に招じ入れ、椅子を勧められた。
  『ナイトキャップを取りに来たのですが』
  「これですよ」
と示されたのはテーブルの上の洋酒の瓶である。私は直ぐに自分の思い違いに気付き、
  『私は思い違いをして居るようです。失礼しました』
  「まあ良いでしょう。一緒に飲みながら話しませんか」
  『スーツケースを開けたまま、こんな軽装でスリッパのま
   まですので失礼します』
と言って自室に帰りスーツケースの整理をしていた。やがて山田さんが浴室から出てきたので
 『先程225号室の大石さんから電話があり、「飲みながら話しませんか」と言って  ました。それにしても変ですね。電話では確かに「ナイトキャップをやるから来るよ  うに」と聞こえたので225号室へ私はナイトキャップを取りに行ったのですが、年よりの空耳でしょうか。年は取りたくないものですね』
と言うと、暫くして山田さんが
  「寝る前に飲みながら駄弁るのを私たちはナイトカップと言うのですよ」
私はナイトキャップとナイトカップの聞き違いと納得した。帰宅して念の為にナイトキャップを手元の数冊の辞書で調べたら、ナイトキャップに(寝る時頭に被る網状の帽子)と(寝る前に飲む寝酒)の両方の意味があり、ナイトカップと言う言葉は見付からまかった。山田さんの発音も私は勝手に誤解していたのだった。
                                       (関 秀世)

[第4日(3/7)] グランドキャニオン

 「グランドキャニオン」、その景観は、想像を遙かに超えるものだった。
 その峡谷の崖縁に立ったとき、いきなり眼前に広がった壮大なスケールの風景に、誰もが「おー!」とか「わぁー!」とか、感嘆の声を発した。私も、その例外ではなかった。赤い地層の断崖が、遠く青く霞む彼方まで広がり、眼下には、何処が底かと思われる千尋の峡谷が、口を開けている。峨々たる断崖は、幾重にも幾重にも連なっている。その様は、荒々しく厳しくそして荘厳な、恰も天地創造の原初の姿のようである。
 この景色を前にしたとき、驚きや感動と言ったものを通り越して、畏怖の念を覚えた。遙か人の力の及ばざる、遙か人の想像を超える時間の世界の姿に、人の如何に小さきか、人の命の如何に短きか、をつくづく感じた。また、思い煩っている日常の小事などを始め、今世界で起こっていること全てもが、どうでも良いことのように思えた。
 この気持ちは、最初に見学した「バリンジャー隕石孔」の崖縁に立ったときにも、同様に抱かされたが、こちらは、これまでにも経験した火山の噴火口の姿に類似していることやそのスケールの違いから、「グランドキャニオン」を前にしたときの気持ちには、比ぶべくもなかった。
 ヘリコプターから見た景観はまた実に印象的であった。荘厳な神殿を思わせる断崖が、平原の中に延々と続いていた。
 時間が許せば観光客の喧騒が過ぎ去り、大渓谷が静寂へと移り変わり夕陽に染まる空と渓谷のシルエットは大自然の描く最高の夕景色となるだろう。いつの日かぜひ眺めたい。

[第5日(3/8)] 地質調査所/ローエル天文台

 番外でしたがここを見学できたことは幸運でした。廊下の壁のいたるところに貼られた、探査機で撮られた太陽系天体の詳細を極めた写真、地形図など多数。本当はじっくり見たいところです。
 USGSは研究施設であり、博物館のようにきちんとした展示にはなっておらず、廊下に貼ってある写真や図表を見て歩くようになっています。突然の訪問にもかかわらずそれぞれセクションの研究者の案内が得られたことも今回のツアーならではのことではなかったかと思います。
 写真の中にはフラグスタッフ周辺や、私たちが前日訪れたばかりのグランドキャニオンの衛星写真があり、附近の地形を再確認し、アメリカの広大さをしみじみと感じたものです。ボイジャー探査機から届いたトリトン(海王星の衛星)の変化に富んだ地形写真は、日本で見た写真集のものより格段に鮮明で目を見張りました。
 廊下を通りながら、ドアの開いている研究室の中が目に入りましたが、どこもみな明るい部屋で、コンピュータを中心に、整然として働きやすそうなのが印象的でした。無料配布の資料が棚に豊富にあったので、凍った表面が見事な幾何学模様を呈しているエウロバ(木星の衛星)の写真入りポスターなどを頂きました。
 次々と建物を回り、展示を見ているうちに、予定の時間をだいぶ過ぎてしまいました。出発の時刻には、知的興奮に頬を紅潮させながら、後髪をひかれる思いでUSGSを後にしました。


 フラグスタッフがかなりの雪で危険なためツアーを中止してほしいという要請があったとアナウンスされたのは、化石の森国立公園からフラグスタッフへ向かうバスの中でした(ニュースでWinter StormやWinter Blizzardという見出しを見ました!)。しかし、様々な方々のご尽力により、翌々日に再訪問できることになったのです! その嬉しさといったら、きっとみなさまもご想像していただけることでしょう。
 日程が変わってしまったので、一般のツアーに参加することになりました。ノリノリ青年ボブさんの案内で、主にモニタ映像を見ながらのHSTとその画像のお話、24インチクラーク望遠鏡、13インチ望遠鏡(冥王星発見望遠鏡)の見学をさせていただきました。
 キャロライン・シューメーカーさんにお会いできなかったのは非常に残念でしたが(あ、観望会も)、歴史的な望遠鏡・機材・資料等を見ることができて、貴重な経験をさせていただきました。特にローウェルが日本へも持ってきていたという望遠鏡の実物を見られただけで私は大感激しております(ちょっと触らせてもらえばよかったかなぁ)。


[第6日(3/9)]キットピーク天文台/ピマ航空博物館

ツーソン市内を出て86号AJOハイウェイを走ると柱サボテン(Saguaroサファーロ)が林立する丘の間を抜けてソノーラ砂漠の荒野に入って行きます。荒野の向こうの岩山の上に白いドームが光っていました。これはこの天文台の最高所に位置する4m MAYALL反射望遠鏡のドームだと後でわかりました。大きなサファーロサボテンの横で車を停めて記念撮影とスナップ撮影。まだ花時には早く、つぼみも出ていません。この荒野の乾生植物の花期は4月で、その頃もう一度来てみたいと思いました。アメリカ西部の雨季は冬で、この雨が春をにぎやかにしてくれます。
キットピークの岩山は隆起花崗岩でできています。日本では筑波山が同じ成り立ちをしています。この岩山の南方には凸の山頂を持つネイティブアメリカン(インディアン)の聖山(Baboquibari peak バボキバリピーク)が見え、ここキットピークも聖地の一つで山頂部の岩にその岩絵があり、保護されています。ガイドツアーでまずこの岩絵と、インディアンの人達からここを借り受けて天文台を作った旨の説明があります。
キットピークの高さは海抜6,875フィート(2,100m)でツーソンとは10〜15℃の気温差があります。この日は3日前に降った雪が残っていて、除雪が不完全な4m望遠鏡は閉鎖されていて近づけませんでした。
 さて、われわれツアーの一行も10時に天文台ガイドさんの案内でマクマスピアース太陽望遠鏡から見学しました。何しろ説明は英語なので大まかにしか理解できませんでしたが、太陽望遠鏡ではスイス人科学者3人が太陽面の分光観測をしている現場を見学することができて大感激でした。施設最上部のヘリオスタットで一日中太陽を追いかけ、その光を長いトンネルに導入して研究室に取り入れていましたが、往復500フィートの長さの意味は残念ながら分からずじまいでした。
 最も印象に残ったのはNEO観測施設として画期的な活躍をしてきたという90cm望遠鏡でした。1900年代初期に作られたという望遠鏡は、鏡筒がボイラーのドラムを利用して作られており、手動による駆動ハンドルが残っている(今はモータ駆動)という、まさに年代もののだったということです。最先端の機械の期待に対し、意外なことでした。CCDをいち早く取り入れた結果のことでしょうが、新しい技術を付加することで古い器械でも大きな仕事ができる実例に感銘を受けました。
 近く完成するという1.8m望遠鏡も経費削減のための工夫がいろいろなされているようで、高度方位2軸の駆動にフリクション(摩擦)方式の構造がとられていたのに興味を引かれました。この方式で追尾精度がどこまで出せるのか知りたいところです。施設の要人マクミラン氏の話でやっと長年の念願がかなったとのことでしたが、建設費の1/3はプライベートな資金でまかなわれたとのことで、アメリカにしてこの状況を考えると、我々も多々見直すべきものがあるのではという感を持ちました。
 というわけで、今回のツアーを無事終わることができました。途中、悪天候にひやひやする場面もありましたが、終わってみると、それはまた楽しい思いでとなりました。“木曜スペシャル”(1960〜70年代のTV番組)の影響か、子供の頃から宇宙、恐竜、SFにはまり、夢は一貫して宇宙に行くことという、奇人、変人、オタクに分類されながら、ただあこがれだけで、何もせずに過ごしてきました。しかし、JSGAの会員となり、今回、具体的にクレーター、天文台と体感できるツアーに参加することができて、夢見るオタクから、1光年先に進めた気分で、旅を終えた感想はただただ感動の一言につきます。

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 このようなツアーはJSGAにとって初めての試みでした。しかし、参加したすべての方から、「感動した」、「楽しかった」という言葉を頂きました。大変充実したツアーになったのも、実際に旅行主催を担当された、フロンティアインターナショナルジャパン社と担当の佐山さん、現地担当のJ.U.Travel社、およびガイドの渡辺さん、バスドライバのボブさんの親身になったご協力があったからと、感謝しております。

なお、この紀行文は次の方々の原稿をもとに編集しました。
 洲崎保司、 薗部勝一、 内藤直人、 河野深雪、 芹田文夫、 加藤公子、 岩下由美、 坪根秀一、 河野省子、 井上美幸、 関 秀世、 佐山恵子  (敬称略)。 

                             (編集と写真 松島弘一)


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