日本のK/T境界層を訪ねて
加藤 公子
あるものごとに並々ならぬ関心を持っていると、違う分野の本を見ていても、そのことに関する言葉があると目が吸い寄せられてしまいます。表紙の写真の美しさに惹かれて手に入れた「道東の自然を歩く」(註1)のページをパラパラとめくっていましたら、“巨大隕石衝突”とか“イリジウム”という語が目に入りました。その内容を見ると、恐竜の絶滅を招いたといわれる、白亜紀末の隕石落下事件を示す粘土層が、イタリアのグッビオなど世界各地で(図1)見つかっていますが、日本で唯一のものが北海道の博物館にあるというのです。興味を持った私は、折よく数日後にオホーツク海の流氷を見に行く家族旅行の計画があったので、私一人だけ先に出掛け、そこを訪ねてみることにしました。 図1 それは帯広東北方約50kmの足寄(あしょろ)町にある「足寄動物化石博物館」です。(写真1.2)ここはその名が示すように、1976年に同町で発見されアショロアと命名された、デスモスチルス(註2)の祖先型などの動物化石が主な展示品ですが、第4部の「足寄で見る地球の歴史」のコーナーに、30億年前ごろ大気に酸素を蓄積したストロマトライトの化石などと並んで、K/T境界を示す黒い粘土層が、幅1.5m、高さ1mぐらいの枠におさめられて展示してありました。(写真3,4,5)上下の層の間に、石灰岩を挟み込んでうねうねと横たわる、厚さ6cmから10cmぐらいのの黒い部分が認められます。 写真1 写真2 写真3 K/T境界層という言葉のKは、1億4300万年前から6500万年前の間の、白亜紀=Cretaceousのドイツ語表記の頭文字で、Tは6500万年前から165万年前までの第三紀=Tertiaryの頭文字です。この白亜紀と第三紀の地層の間に、ユタカン半島のチュクシュルーブに落下した巨大隕石によって巻き上げられた粉塵が堆積した、化石をふくまない粘土層があります。 この粘土層は、1980年代初めごろ山形大学理学部地球科学教室の斉藤・海保氏らが、当時北西太平洋−アジア−アフリカ方面では発見されてなかったK/T境界層を見つけるため、足寄町の南方にある浦幌町の、活平層という地層を調査されました。そしてその地層の下部からは、白亜紀末期を示す有孔虫群の化石を、また上部からは第三紀最初期のそれを見つけ、層序の調査間隔を詰めていったところ、1984年第3回目の調査でK/T境界層の発見に至ったそうです。(註3)この露頭は川流留布川の河床にあるため、土砂で埋積されるので、剥ぎ取り標本を博物館に展示しています。しかし、この時はイリジウム濃集については検討されませんでした。後日金沢大の田崎氏らが、このような遠くまで飛ばされてきた、2ミクロン以下の微細な粘土粒から、シリカにたいして9ppmのイリジウムを検出しました。イリジウムの地殻存在比は0.1ppbですから、この粘土層に濃集していることが分かります。 ところで、6500万年前というと今の北海道の形はありません。(図2)ここで発見された境界層は、はるか数百キロ東南沖の太平洋の大陸棚にあった付加体(プレートの沈み込みの際に、陸地側に押しつけられた層)で、プレートの移動によって今の位置にたどり着き、北海道の形成、東から小千島列島(色丹島など)の押し寄せ、日高山脈の隆起などで、地上に顔を出したというものです。有孔虫群の化石の状態からも、半深海帯で堆積したと論じられています。この標本が採取された川流留布川上流の現地は、土砂に埋まっていて重機を入れないと掘れない状態ですし、道有林ですからゲートがあって許可を受けないと入れません。 この博物館は、帯広から士幌を通って阿寒に行く国道241号で、足寄町市街へ入る直前の右側にあります。ちほく鉄道で行けば、足寄駅から南の方へ徒歩15分ぐらいです。小惑星衝突問題に関心がおありでしたら、この博物館の展示を一度ご覧になって、当時の地球のパニック状態に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。 --------------------------------------------------------------- (註1)北海道大学図書刊行会 「道東の自然を歩く」 1999年11月25日発行 本体1800円 (註2}第三紀中新生の化石哺乳類。左右各1本の切歯があり、体長約2m、鼻に位置は後退、胴は短く四肢が非常に太い。海岸近くの浅瀬に棲み、夜は陸に上がって海辺の下草など食べたらしい。北米太平洋沿岸・サハリンなどでも化石発見される。(平凡社・小百科事典より) (註3)月刊 地球/Vol.8 No.3,1986 「白亜紀−第三紀(C−T)境界と恐竜の絶滅」 山形大学理学部地球科学教室 斉藤常正 海保邦夫 |
30号の目次/あすてろいどHP