シリーズ:衝突と気候変動、及び、絶滅と文明盛衰
        (その6)恐竜絶滅前後の小惑星衝突の痕

                      古宇田 亮一(地質調査所)


(承前)

 恐竜とは,中生代に地球上のほとんどの陸上に栄えたと考えられている「大型」爬虫類である.その恐竜が突然絶滅した.中生代白亜紀末のK−T境界(K:白亜紀,T:第三紀)と呼ばれる時期に,現在のメキシコ・ユカタン半島北辺チクシュルーブの位置に衝突した小惑星による激変によるとする説が,この時代の地層に含まれるイリジウムの異常高濃度の全世界的分布や,衝撃石英の特徴的な地域分布という証拠から,一番確からしいとされている.
 この絶滅時期の衝突の痕について見てみよう.

18. 大量絶滅期−中生代末−

 恐竜は,その骨の構造から分類された陸生の爬虫類である.大部分は大型である.中には小型のものもいる.恐竜の決め手は大きさではなく,残された骨の形や,陸域に遺された歩行の痕跡などである.
 恐竜は,中生代の初期三畳紀の終わりごろ,およそ2億年前から進化を始めた.そして,ほぼ正確な白亜紀最末期の6500万年前,極めて短い間に,地球上から忽然と姿を消した.恐竜ばかりではない.海にいた海生爬虫類,アンモナイト,有孔虫や,当時の海の石灰礁を形成していた厚歯二枚貝の他,陸上でも飛行性爬虫類が絶滅し,シダ類等の植物相が激変している.次の新生代初期は生物相が極めて貧弱であることが知られており,それが後の哺乳類の大発展と人類登場の舞台を与えたことで重要である.

 このような激変は,地球史上初めて到来したわけではないことがよく知られている.その前の大きな激変,つまり大量絶滅は,同じ中生代三畳紀(2億5千万年前から2億3百万年前まで)の最末期・レート期に発生していた.三畳紀の大型陸生動物は,爬虫類のなかでもカメやワニに属するもの,齧歯類(げっしるい)に似た獣弓類(哺乳類様爬虫類)と呼ばれるもの,そして両生類が主なものであった.この時期,恐竜の祖先の槽歯類(そうしるい)は,まだ小型ながら敏捷な運動能力を備えた骨格と足跡があったことで知られている.

 中生代末に恐竜が絶滅したため,生物学的に過小評価する傾向が,古生物学者にある.しかし,生物学的に劣っていたから絶滅した,という証拠は存在しない.例えば,鳥類・哺乳類は温血性なので代謝率が継続的に高く,長時間活動できる.爬虫類のような冷血性では,それほど多くの餌を必要としない.温血性なら代謝に多量の餌を必要とするので,植物食動物に比べて肉食動物の数は少ないことで,温血性かどうか判断できる.恐竜社会では餌に対する肉食動物の比率がどこでも極めて低い.このため,恐竜は温血性といわれ,鳥類・哺乳類とは大差がない.それでも,哺乳類が大脳の発達が大きいのに,恐竜は中脳が大きく,頭蓋骨に空洞が多いことを劣っている証拠とする向きもある.しかし,生き残りやすい「悪知恵」(裏切りや約束破り等)は中脳に由来するとの説があり,敏捷性をもたらす運動神経の中枢は小脳である.現生爬虫類と人類のような現生種で脳神経系の比較をしても意味がない.本質的には,どのような行動をとったかによらねばならない.

 恐竜の生活痕跡の研究から明らかになっていることは,足跡が各個体接近して一連でついており,社会行動をしていたことが明らかである.カモノハシ竜には複雑な鼻腔のある頭蓋があって,ラッパのような鳴き声をあげたと考えられている.恐竜の種によって特有な構造が異なるため,特定の鳴き声を出し,遠隔で情報交換していたと考えられている.卵の並べ方も極めて正確な環状構造を持たせ,孵化後の幼体の世話をし,負傷した仲間の介護システムも確立していたらしいことが明らかになっている.このように複雑な情報処理操作可能な脳の発達が劣っていたと考える方が,偏見が強すぎるのではないか.それらの「価値」に関する議論は別れるかもしれないが,しかし,相当複雑な社会を構成していた事実には異論がない.

 白亜紀後期に地球温暖化が進んで,年平均気温が24度を超えるようになっても,あるいは極地のような寒冷地や乾燥地にも恐竜は適応できた.進化の速度も,恐竜は地球規模で急速であった.これに比べて,獣弓類などの哺乳類は,中生代の2億年間,ほとんど進化らしい進化をせず,ひっそりと生息していたと考えられている.恐竜は,複雑な社会形態,集団による行動,敏捷な走りを獲得して,中生代を通じて大規模に全世界的に進化発展したと考えられる.その末裔が鳥類であることは,恐竜のほんの一側面を現わしているに過ぎない.

 中生代末のマーストリヒト期(72百万年前から65百万年前まで)に,恐竜の凋落が起きた.北米のモンタナ〜アルバータにおける長年の研究で明らかになっていることは,マーストリヒト期より前には,恐竜の属(種より上位のグループ)の数は30以上もあった.ところが,マーストリヒト期の初期,70百万年前から69百万年前では,属数が23から22に減少し,マーストリヒト期最末期には13属に減少している.しかも種数のみでなく個体数も減少している.これは化石の保存状態が悪くなったとか,単なる地域的現象であるとすれば,大きな問題となるが,これまでのところ,世界的にも似た傾向が指摘されている.

 ただし,モンタナ州では,65百万年前より後の地層にも暁新世の哺乳類・花粉化石とともに恐竜の歯の化石が知られており,個体数が極端に少ないものの,9属ほど存在していた可能性があるという.もちろん確かな全身骨格は発見されていない.モンタナでは,13属の恐竜のうち4属だけが,65百万年前に絶滅し,その後,ほんのわずかだけ,9属ほど生き延びたというのであろうか.それがずっと長く続いたという証拠は皆無である.世界的にも同じ例がなく,やはり65百万年前に恐竜がほぼ絶滅したという説が崩れたわけではない.
 絶滅の原因は,火山説,温度変化説,毒殺説,病気説等多々あるが,今日では,小惑星衝突がもっとも広範な事実を説明できる仮説モデルである.

19.中生代末のクレータ痕

 メキシコのユカタン半島北部に,直径180kmに及ぶチクシュルーブ・クレータが,6500万年前に形成されたことは事実である.衝撃石英等の多数の事実で証拠立てられてきたため,大絶滅の仮説がどうなろうと,地球史の大事件であったことは疑いない。

 一般的に,クレータが発見されるのは,まず先に陥没構造が確定してから衝突放出物が発見され,小惑星衝突の痕跡であることが確認される.しかし,チクシュルーブ・クレータは,先にイリジュームの多い放出物が発見された.引き続き,衝撃石英がメキシコ湾内各地で見出され,太平洋海底の泥からガラス状物質の広い分布が見つかり,カリブ海でテクタイト・ガラスが,北米各地で同時期の津波被害の分布等が発見された.その中心がカリブ海のどこかにあるはずと推定されることで,逆に陥没構造が推定された,まれな例である.しかもいずれの発生時代も,65百万年前を指していた.

 推定された陥没構造の位置は,70年代後半から80年代前半にかけての石油探査のための重力構造推定と,いくつかの探鉱ボーリングから,1990年にユカタン北部のチクシュルーブ村を中心とした範囲に,その環状域の広大さと共に確認された.小惑星物質が塊で発見されたわけではないが,衝撃石英も見つかり,ボーリングで見つかった衝撃溶融物がテクタイト・ガラスに同じであること等がわかり,1992年の年代測定により,正確に65百万年前を指すと特定された.これが中生代末の地層に現れるイリジウム高濃度異常をもたらした原因の第一級の最有力候補と考えられている.そして,恐竜の絶滅も,このクレータの発生と共にあることも疑いない.

 時期的にチクシュルーブ・クレータと同時と考えられているのは,ロシアにあるウクライナとの国境近くに位置するカメンスク・クレータとグセフ・クレータである.25kmの直径を持つカメンスク・クレータに存在する地層は古生代二畳紀から中生代三畳紀の石灰岩や頁岩である.クレータの陥没域を新生代暁新世の堆積物が250mほどの厚さで覆う.確かに中生代末の時期である.周辺縁より400m高くせりあがった中心丘がある.陥没域内には衝突礫や10m径ほどの巨大礫が詰まっている.3.5kmの直径を持つグセフ・クレータは,やや楕円形をした礫岩が詰まった400mくらいの陥没域である.これはカメンスク・クレータの北縁から1kmくらいのところにあり,同じ物質があって同じ時期であることから,二つの小惑星が衝突したか,あるいは,細長い小惑星が砕けて二つに分かれたものであると推測されている.以上二つのクレータは,年代が正しければ,チクシュルーブ・クレータをもたらした小惑星の「仲間」と考えることができる.このように,同時期に多数に分かれた小惑星が地上に衝突することは,木星に衝突した「シューメイカーレビ9」でも観察できる事実である.

 65百万年前より少し前,70百万年前から74百万年前までに,衝突による大型クレータがいくつか発生している.70百万年前よりは新しいと考えられているのは,直径12kmのブラジルのバルヘオ・ドームがある.円形のドーム構造と断裂系と衝突礫,中心丘が特徴的であり,500m程度の盛り上がりが推定されている.アルジェリア中央にある直径6kmのティンビダー・クレータは侵食が大きく,同心円的環状部が複数,少なくとも3つ見られる.中心丘は500mほど盛り上がっており,2km径の石灰岩環状構造にとりまかれ,さらに中心から2.5kmに別の環状部が見られる.その内部構造が著しく褶曲していて,あたかも衝突クレータの圧縮変形された底を見ているような様子から,実際の直径はもう少し大きいと推定される.わずかに衝撃石英が見つかっている.同様に,アルジェリアのモロッコ国境近くにあるオーアークチス・クレータは,直径3.5kmと小規模ながら,100m高の環状構造が侵食に耐えて一部残されており,内側と外側の同心円からなる.中心が盛り上がって外側に傾斜している構造で,内側の環状部には礫が多く,衝撃変成石英が見つかっている.これらがマーストリヒト期初期の恐竜の属数を22から13まで減少させるに十分な変化をもたらしたかどうかは全く不明であり,年代測定の精度を高める必要があるだろう.

 マーストリヒト期初期より少し古い時期のクレータも,恐竜の変化との対比で重要であろう.ロシア北部のカラ海に面したカラ河口に近い65kmという大きな直径のあるカラ・クレータは,その北東部のカラ海に一部が沈む直径25kmのウストカラ・クレータと並んで,ロシアの代表的大型クレータとして有名であり,衝突の時期は73百万年前と測定されている.中心丘は10km径に及び,垂直の地層が特徴的である.衝突礫やセーバイトの分布が一般的で,鉱物に衝突変成作用やラメラ,板状亀裂等が顕著である.中心丘の下に径20kmに広がるじょうご状の構造がみられ,礫や衝撃石英,セーバイト,ガラス等で満たされている.その周りに,環状縁のような高まりがある.さらに環状部の外には破砕された粉状の堆積物が広く分布している.

 カラ・クレータとウストカラ・クレータは,米国のマンソン・クレータと共に,K−T境界の衝突クレータ候補として一時期有名になった.しかし,1993年以後の年代再測定によって,はるかに古いことが確認された.米国のマンソン・クレータは,直径35kmと大きく,非常によく研究されているクレータの一つであった.20世紀の初めからボーリングが数多く打たれており,1950年代には衝撃石英の発見と共に,衝突クレータであることが早い時期に確定している.外側の環状縁の中に広がる陥没域は浅い環状構造で,内側は地層が乱されている.含まれる礫岩は地下6kmの岩石が巻き上げられて入り込んだことがわかっており,衝突の影響は深部に達している.地表で観察できるようなものはほとんど見られず,観光には不向きといえる.

 K−T境界に相当しないことが明白となったが,73〜74百万年前のクレータが,相対的に巨大であることは極めて大きな意味をもつ.即ち,恐竜の絶滅がマーストリヒト期末のチクシュルーブ・クレータの形成で突然起こったのではなく,白亜紀末に少しづつ減少していき,最後にとどめを打たれたものとするなら,マーストリヒト期前後のクレータ,特に直前の大型クレータの存在こそ,恐竜や他の生物の衰退を招いた元凶であるとは考えられないだろうか.

 ただし,古生物学者はそのようには考えておらず,「小惑星衝突派」はK−T境界唯一論者であることが多いため,一般的な見方とは言えない.マーストリヒト期だけに限っても700万年間も続く長い時代であって,毎年のように大きな隕石が衝突していたということも考えにくい.

 しかし,この時期のクレータをより多く見つける努力と,精密な年代測定を多く行い,詳細が判明している白亜紀末期の生物変遷との相互関係を見つけることが,人類の明日と小惑星衝突の実相予測に大きなヒントを与えることになると予想できる.

          表 白亜紀末のクレータ(Hodge, 1994)

20.まとめ

 これまでに見て来たように,地球上に確認されている衝突クレータの発生年代と,文明変動,気候変動,生物絶滅のような変化の時期に,意外にも似た傾向が見られることがかすかに見えてきた.これは,特に1990年代に入って,精密で正確な年代測定法が世界的に普及し,標準的なデータが,1990年代後半に入って得られることができるようになったことが大きい.今後,更に精密な年代測定が激増することは確実なため,これまでの議論とは矛盾する事実も発見できるだろう.しかし,それによって,更に興味深い衝突と地球の大変動の時期的一致が明らかにされるかもしれない.研究の舞台は,今や,恐竜より前の絶滅と衝突の関係にも移行している.

 恐竜に文明のようなものがあったかどうか不明である.しかし,恐竜の社会行動が白亜紀末にどのような変化を遂げたのか,全地球的に明らかにすることは必ずしも不可能ではなくなりつつある.植物化石等によって,白亜紀末の気候変動を詳細に明らかにする努力も続いていて,いずれは全容が見渡せることになるだろう.複雑な社会になるほど,衝撃的な激変への対応には弱さがある.人類の明日に関係が深い真相の究明は,重要な意味があるのではないだろうか.

                    (一旦休止)

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(お詫び:このコラムの休筆が多くなって,ご迷惑をおかけしておりました.筆者身辺で独立行政法人化に向け忙中に閑を見い出しがたく,大変申し訳ございませんが,今回,チクシュルーブ・クレータにたどり着いたところで,一旦,休止させていただきます.続きは,勝手ながら新しい研究環境が整う(はずの)来年からにしたいと存じます.平にお詫びする次第ですが,再びまみえますことに御期待下さい.)


  30号の目次/あすてろいどHP