今世紀最後の大流星雨
−トルコへのしし座流星群遠征観測記−
大塚 勝仁(東京流星ネットワーク)
暗示? 目が覚めると、もう外は明るく朝だった。「しまった!昨夜のしし座流星雨をみのがしてしまった!」 起きてみると、みんなは、談笑しながら昨夜の観測結果のまとめをやっていた。どうも午前3時台に明るい火球が大多数出現したようだ。詳細を聞かなくても、しし座流星雨が予想通り流星嵐になり、大出現したのは明白である。「う〜ん、寝過ごすとは一生の不覚!」 自分は、遠くはるばるトルコまで来て、何をしていたのだとと悄然となりながら、ほっぺたをつねってみたが、「あれ?痛くない、これは?・・・」というところで、目が覚めて飛び起きた。「よかった夢だった。でもなんて、リアルな・・・」全身、寝汗をかいていた。時計を見ると、午前2時(現地時)少し前だった。仮眠をとってから、1時間しか経っていない。「これは、いわゆる夢知らせであろう。これで自信が確信になった。」などとつまらないシャレを思いついたりしたが、この時点では、まさか数時間後に夢が現実になろうとは思いも寄らなかった。
流星雨の予測 しし座流星雨が、1999年に大出現するであろう事は、独自の調査とカンで予想していた。母彗星(55P/テンペル−タットル)と流星が出現する軌道上の位置(彗星との平均近点角の差、ΔM)が、前回帰と今回帰と2゜以内でかなりよく一致しており、それを裏付けるように、前回帰と今回帰の活動プロファイル(空間数密度、極大太陽黄経、質量関数)も大変よく似ていた。1961年とその1軌道周期後の1994年の突発出現。そして1998年では予想がはずれ、半日前に極大がずれて、大火球がたくさん出現したが、1軌道周期前の1965年の時も、実は全く同様な活動プロファイルであった。1998年の結果を知って、1999年に大出現すると思うようになった。前回帰と今回帰の活動プロファイルが同じであるという事は、しし群自体、その間4大惑星にはそれほど接近していない事(遠日点付近で天王星に接近した可能性はあるが)、それと流星群が形成されてから、少なくとも数千年時間経過しているかも知れない事を意味する。
観測地はいずこ? 更に、ブラウンがIcarusに発表した「過去のしし座流星雨の活動」という論文を読んでみると、過去5回のしし群大流星雨や流星嵐の極大は、降交点通過時刻から0.5−2時間後に起こったという事実を知った。これにより、観測適地がだいぶ絞り込まれ、中東〜西欧が良さそうな事が判った。11月中頃の天気は、どこがいいのか?治安の問題なども調べる必要がある。
結局トルコヘ 丁度その頃、神戸のSさんが、近畿日本ツーリスト神田支店が「トルコでのしし座流星群観測ツアー」で参加者募集中という事を、NMS同報メールに紹介されていた。いろいろ悩んだが、もうこれ以上考えるのが面倒くさくなった小生は、「こりゃ、渡りに船だわい」と思い、11月初旬に、締め切りギリギリになって、あっさりこれに申し込んだ。これによって、気分的にずいぶん楽になった。期間は11月16日−21日(4泊6日)で¥165,000と思ったよりも安い。カッパドキアで観測ができるようで、観測がだめな場合、その分、観光で取り戻そうなどと思ってもいた。この辺りは、トルコ中部アナトリア高原に拡がる特異な溶岩台地で、世界遺産にも指定されている。団体旅行ではあるが、向こうへ行けば、晴れ間をもとめて自由行動できるだろうなどと高をくくっていた(しかし実際は無理であったが)。なぜカッパドキアかというと、7月の日食ツアーで旅行社が勝手が判っている事と、晴天率がこの時期でも、比較的いいという事にあるらしい(”あすてろいど No.99・04,12”に吉村氏のトルコでの日食の記事がある)。しかしながら、2つの不安があった。一つはやはり天気である。なるほど、ここはステップ気候で雨も降るが、過去のデータを調べると、この時期でも晴天率はいいようだ。けれども、前年の1998年は、ちょうどこの頃は、トルコは曇りないし雨であった。ここ数年、地球規模で異常気象傾向であるが、その為なのだろうか? もう一つは、前述した極大時刻である。もし1時間以上も流星雨の極大が後退すると、薄明を迎えてしまう事になる。トルコでは、UT+2hなのでその可能性がある。カッパドキアでの薄明始は4時53分(現地時)である。しかしながら、もし観測時間中(薄明始前)に流星雨に遭遇すると、ヨーロッパのどの国よりも輻射点高度が高くなるので、地球上で流星数が多く見られる好条件下で観測ができるかもしれない。というのも、流星数は輻射点高度の正弦で効いてくるからである。例えば、2hUT頃(降交点通過時刻付近)に極大を迎えると、カッパドキアでは輻射点高度が59゜になるが、スペインのバルセロナでは33゜、カナリー諸島ではたった16゜しか昇らない。という事はカナリーで見られる流星雨は、カッパドキアで見られる流星数の30%程度の規模しか期待できない。しかもこの時間には、カナリーでは、まだ西の地平線付近に月齢10.3の月が残っているので、その妨害により更に暗い流星は見にくくなるだろう。それと、輻射点高度が低いという事は、物理的に流星の継続時間は長くなるが、余り明るくならない事、つまり明るい流星が少なく見栄えがしなくなる事を意味する。
飛んでイスタンブール♪ 出発まで残り1週間ともなると、トルコの天気だけが気になり、連日にそのホームページを覗き込むようになる。はじめの内は、旅行中は連日晴天ということで喜んでいたが、出発が近づくにつれて、とうも観測予定地の雲行きが怪しくなってきた。極大日を挟んで数日は、曇りないし最悪の場合、雨という予報。なぜ一転して悪い予報になったのだろうと予想天気図と衛星写真で調べると、その1週間ほど前に、地中海のスペイン沖で発生した小さな低気圧が、だんだん発達しながらゆっくり東進して、前線がトルコ北部にもかかってくるという事であるらしい。しかも観測予定日前後数日は、どっぷり浸かっているようだ。南部のアダナまで行けば、何とか大丈夫そうであった。
観測前夜 入国審査は、本人かどうかのチェックとスタンプを押してもらって簡単にパス。手荷物検査はトルコのガイドブックには、持ち込みの制限が書かれていたし、イスタンブール・サミットで欧米の首脳が沢山やってくるので、もっと厳しいかと思っていたのに、些か拍子抜けした。空港ロビーには、今回の現地ガイドのフズリさんが出迎えてくれた。Ca隊長は、7月の日食の時も、フズリさんにお世話になったらしく、つーかーの仲のようだ。フズリさんは、日本語が非常に堪能であるが、独学で学んだらしい。トルコ語と文法的に似ているので、日本語は覚えやすいとの事。とはいうものの、日本へはまだ行ったが事ないと言っていた。でもトルコ語の会話を聞いていると、なんだかロシヤ語的に聞こえて、全くちんぷんかんぷんである。最後まで、トルコ語は、単語一言もしゃべらなかったし覚ようともしなかった。また、桁数の多いトルコ・リラの計算は面倒くさいので、買い物は計算上手の「主婦」に任せていた。
観測当日 早朝、7時45分ホテルを出発。荷物は個人旅行と違い、部屋から部屋へ運んでくれるので、本当に楽である。イスタンブールの国内線空港から、8時50分発トルコ航空116便で、首都アンカラへ向けて1時間のフライト(実質30分以下)。丁度、東京−大阪間のようなものだ。飛行中は、高度7000m上空まで上がっても、分厚い雲の中であった。当然、アンカラも曇りであった。アンカラに到着後、昨夜とはうって変わって、全く大きさが違うマイクロバス(定員ギリギリ)に乗り込む。フロントガラスに大きなひびが入っており、ワイパーがこれに引っかかっていたが、そんな事よりも、とにかく天気が心配だ。そして、ここから南東へ500kmの長距離ドライブで、一路、カッパドキアのユルギュップへ。道路は片側1車線だが、広めで舗装されていい。その為、運転手さんもビュンビュン飛ばし、見通しのいい対向車がこない直線道路では、どんどん前の車を追い越していく。けれども、行けども行けども、進行方向の地平線付近はずっと曇りで晴天域も見えてこない。長旅の疲れもあるし、なによりも冴えない曇天なので、車内はまるでお通夜のように静かだ。なだらかな牧草地やトルコで2番目に大きいチュズ湖など、天気さえ良ければ、景色も楽しいはずなのであるが(写真1)。
途中、雲が切れて青空が見えると、歓声があがるといった状況。昼食のドライブインでは、日が射して、みんなもやや明るさを取り戻したりしたが、出発するとまた厚い雲に覆われてしまい、それも長続きしなかった。フズリさんがユルギュップのホテルに電話して天気を聞くと、「雲一つない晴天」との事。みんな「ほんまかいな」と思っていたようだ。というのも、目的地まで100kmほどのはずなのに、ぜんぜん晴れる兆しがないからである。しかも妻は、脂っこい肉料理があわなかったのか?車酔いしてしまって、車内は益々重い雰囲気になった。午後3時頃には、もう奇岩群が見え始め、カッパドキアに入った事がわかる。目的地のユルギュップの近くまでやってきて、ピラミッド状の町ウチヒサールを望む見晴らし台で休憩(写真2)。
実はここで善後策を協議する。ここまで来ても、曇天は変わらなかった。しかも晴れそうな気配はない。みんなで南部のアダナ行きが可能かどうか、フズリさんに尋ねてみた。ここからだと、更に400km南下せねばならず、往復して観測まですると、殆ど徹夜で運転手さんに大変な負担がかかるし、安全面などの問題で、実質的には実現は難しかった。フズリさんがアダナの知人に電話すると「今夜は雨が降る」との事。最終的に、Ca隊長の決断で、現地にとどまる事にした。その時、Sさんが「流星雨が絶対見られるのなら、100万円出してもいいですよ。」と訴えるように話していたのには驚いたが、他のみんなも「流星雨を見たいのだ」という強い意志は変わらない事は確認できた。見かねたフズリさんは、「ここは昼間は天気が悪くても、夜中にはいつも晴れますよ」となぐさめてくれた。あとは我々の祈りが、天に通じる事を願うのみ。
ホテルには一応電飾があるが、観測時には、消してもらう事にした。ここならば、外部の人間は入ってこないし、安心して観測に打ち込む事ができる。ただ、南方約3kmにユルギュップの町があり、そこの街灯(ナトリウム灯)や、バルコニーの出入り口の非常灯が意外に明るかったので、観測時には、遮光しなければならなかった。シーズンオフという事もあり、その晩は、宿泊客は我々だけであった。部屋はみんな2階に並びでとってもらっていた。バルコニーまでは、廊下を歩いてエレベーターを使って移動する。ホリディ・インに比べると、部屋もベッドもだいぶ狭い。しかも空調が壊れているので、シャワーは水しか出ないし、暖房もストップしていたので、各部屋に日本では余りお目にかかれないようなハイパワーの電気ストーブを支給された。そのストーブによって部屋はかなり暖かくなり、時差の関係もあり、眠たくなってくる。早々に夕食を済ませて、旅の疲れもあり暫く熟睡した。
何を観測するか 筆者の普段の流星観測ならば、焦点距離85mmから135mmのレンズを装着した多連カメラで、2点ないしそれ以上の観測点から流星の同時写真観測を行い、軌道データを集めて研究材料とする。しかし今回は外国での観測で、その様な重い機材(一装置につき〜50kg)を運ぶマンパワーが無く不可能な事、それに、そのような観測はオランダ流星研究会の観測隊がやるであろう事、などから、同時写真観測は早くから諦めて、とにかく大流星雨を見る事が一大目的であった。しかし、折角観測しに行くのであれば、何か記録にとどめたいと思うのが、人情である。
奇跡的な晴れの窓 さて、例の非常にリアルな夢を見てから目が覚めたものの、その夢による精神的ショックが残っており、暫くボーッとしていたが、我に返って観測準備に取りかかった。しかし、時差ボケや長距離移動に伴い、どうもフラフラしてしまい、いつものようにスムーズにはいかない。機材組立や調整などやり終えたら、軽く40分経ってしまった。バルコニーに観測機材を持って出ると、空はベタぐもりだった。けれども2時から20分ほど空が晴れたそうで、Sさんは1個/分くらいの割合で出現を記録していた。なんたる、不屈の精神と感心する。なぜならば、彼は午後11時過ぎには、観測体制に入ってずっと待機していたと聞く。小生ならば、観測地が曇っていてダメそうであれば、1時間も持たずに、諦めて帰るのに。この時、ビデオレコーダーの時刻合わせが、まだだったのに気づき、あわてて部屋へ戻る。電話で調べようと思ったが、よく判らない。これは、弱ったなと思って、誰かに教えてもらおうと再度バルコニーへ。幸い、Siさんが、JJY受信レシーバーを持って来ていたので、それを利用させてもらって、何とか時刻合わせをする。それから、忘れ物を取りに行ったり、何往復かすると、もう3時をゆうに回っていた。深夜に廊下をスリッパでパタパタ音を立てても、他に泊まり客が居ないから、全くお咎めない。結局、外は暖かかったので、裸足でスリッパのまま観測する事になる。しかも寝間着の上下に、コートを羽織っただけで。
これこそ、古文献に記録されている「星隕如雨」というのであろう。そうこうしている内に、この”晴れの窓”は、だんだん拡がって、肉眼でも流星雨活動が認められるようになる。「おー、行った!また、行った!」Sさんの声がひときわ大きくなり、大興奮のるつぼ。雲量は9.5/10くらいあろうか?3−4等級の暗い流星が多いが、マイナス等級のもの結構出ている。Sさんは再び計数観測を始めていた。広角カメラも4時20分過ぎあたりから動かし始める。ただ、肉眼で見るよりも、モニター上の方が流星が多く見られるので、そっちばっかり見ていると、妻に「ビデオは後から見られるのだから、空を見なさい」と叱られてしまった。再び、雲の中、−10等級の流星が出現し、みんなの大歓声が起こる。自分は機材をいじっていて見ていなかったが、妻は「赤い火の玉を雲の中に見た!」と興奮気味に話していた。流星雨は、時間と共に減衰して、それでも時折、立て続けに出現しながら、1時間近く楽しむ事ができた。Sさんの記録によると、30分で100個以上の流星を数えていた。5時少し前辺りから、また雲に閉ざされる。もう薄明を迎えているはずであるが、それでも、雲を通して、時折、明るい流星が見られる。ユルギュップのモスクから、朝のお祈りの時間で、拡声器を通して、抑揚のあるコーランの読教が南風に乗って聞こえてくる。我々の感覚では、一種の音楽のようにも聞こえる。「イスラムの国にやって来たのだなあ」と実感する。フズリさんの話では、お祈りの時間は1日5回で実況だそうだ。「他のイスラムの国は、テープかも知れないが、トルコは違う」と話していた。結局、フズリさん他、ホテルの関係者などトルコの人達は、観測中、誰一人、一度も外に出てこなかった。彼らにとっては、やはり余り興味のない事であったのだろう。
後日談 翌日からは、いわゆる観光をし(写真5)、21日には無事帰国。けれども観測中薄着であった為に、風邪をひいてしまい観光は少々辛かった。今回の観測は大満足ならぬ、小満足にとどまる。でも、多少の晴れ間でも、本物の大流星雨に遭遇する事ができたのは救いであった。「これで日食、大彗星、極光(オーロラ)、大流星雨の目撃という4冠(4大天象)を達成した」というメンバーもいた。成田で再会を約束して、みんなと別れた。
観測結果の概略であるが、CCD観測では、丁度極大時刻付近に相当する2時2分から45分間の間に、286個の流星を記録した。この時の最微等級は5−5.5等であった。残念ながら、観測方向が低空過ぎて、空間数密度や質量関数を正しく見積もる事はできない。けれども出現時間間隔については、方向に特に問題はないので、その分布を調べたところ、指数分布に従う事が判った。また、ほぼ同時間帯に動かしていた広角カメラの方は、暗いのがたった2個しか写っていなかったので、些か落胆した。この結果からしても、相対的に暗い流星が多かったのは明らかである。残念ながら、痕分光は全く観測できなかった。 帰国後、一ヶ月経ってから、11/18の観測時付近のNOAAの衛星写真を見て驚愕した(写真6)。なんとトルコは上空には厚い雲がべったり張り付いている。よくもこんな条件で観測したものだと、苦笑してあきれてしまった。問題の低気圧は異常発達し、イタリアでは洪水を引き起こしたと聞く。今回まともに観測できたのは、ヨルダンなどの中近東やアフリカではエジプト、ヨーロッパではスペイン辺りだけだったようで、それは衛星写真の晴天域を見ても明らかである。 今年のしし群の活動は、余り期待されていないようであるが、何が起こるか判らないのが流星天文学である。そういう訳で、できたら今年もしし群を観測したいと思っているが、その場合やはりまた海外か? そろそろ、観測地をどこにするか? また悩み始めたいと思っている今日このごろである。
末筆ではあるが、遠征観測メンバーには、旅行中いろいろお世話になった。彼らがいなければ、観測できなかったであろう。CCDカメラについては、上田市教育委員会の渡辺文雄さんからいろいろアドバイスいただいた。流星雨のCCD画像は、フレームグラバによって、理研の海老塚昇博士に作成していただいた。以上の方々には、厚く御礼申し上げたい。 |
私が所属する東京流星ネットワークでは、やや長めの焦点距離85−135mmのレンズを使用して、流星の写真同時観測を行っています。焦点距離を伸ばす事により精度が向上し、従来のアマチュアの写真観測よりだいぶいい流れ星の軌道を計算できるようになりました。軌道データは、IAU22委員会(流星とダスト)の運営するデータ・センターにも登録されています。データ解析した結果は、吉川さんとともに共同研究して、論文誌に出版されたりもしています。本当は彗星や小惑星の軌道計算をしたいのですが、中野さんというすごい人がいらっしゃるので、今は流星の軌道計算に甘んじています。 私が所属する東京流星ネットワークでは、やや長めの焦点距離85−135mmのレンズを使用して、流星の写真同時観測を行っています。焦点距離を伸ばす事により精度が向上し、従来のアマチュアの写真観測よりだいぶいい流れ星の軌道を計算できるようになりました。軌道データは、IAU22委員会(流星とダスト)の運営するデータ・センターにも登録されています。データ解析した結果は、吉川さんとともに共同研究して、論文誌に出版されたりもしています。本当は彗星や小惑星の軌道計算をしたいのですが、中野さんというすごい人がいらっしゃるので、今は流星の軌道計算に甘んじています。 |
30号の目次/あすてろいどHP