今月のイメージ


 ときどき本箱から引っ張り出して楽しむものの一つに「標準世界史地図」(吉川弘文館発行)がある。各時代の世界各地の国の配置が、きれいに色別して描かれている。特に、アジアやヨーロッパなど、同じ地域の世紀別の地図を比べるのは大変におもしろい。わずかに一世紀違うだけで、大きく膨らんだ国、非常に小さくなったり、分裂した国、あるいはその姿を消してしまう国など、その様相は驚くほど変わっているからである。その背景となっている歴史的事件を年表で追いながら、いろいろと思いめぐらしていくと、しばし時の経つのを忘れる。その個々の事件は、また膨大な人間ドラマを内包しているわけである。しかし、このように世紀にわたって眺めていると、それらはまことに些細なものに見えてくるのも確かである。ところで、もし1901年と2001年に描いた地図があったとして、これを比べたらどうであろうか。二十世紀の主役の一つを演じた、あのソビエトロシア社会主義連邦共和国は登場しないのである。めまぐるしく変貌する現代にあっては、百年というメッシュでは十分でないのだろうか。

 この二、三年、世紀末、ミレニアム、新世紀など、さまざまな言葉が飛び交い、世の中は大変に慌ただしかった。しかし、よく考えてみると、時の始点をビッグバンに求めるかどうかは別にして、この悠久の時の流れの中で、登場してほんの一瞬にしかならない人間が、かってに時間を細かく切り刻んだ単位を制定し、年末だ、世紀末だと騒ぎ立てるのは、何とも滑稽な話しではある。ソビエト連邦を地図に登場させるのも、キリストが50年ほど遅れて生まれていれば、いや50年ほど前後にずらした修正年号でも作ればいいだけの話である。

 2001年1月1日、これは小惑星セレス(Ceres)が発見されてちょうど200年目にあたる記念すべき日であった。そして小惑星の太陽系における分布図も、この二世紀の間に大幅な様変わりを見せたわけである。1801年1月1日、シシリー島、パレルモ天文台のジョバンニ ピアジによって発見された小惑星セレスは、当時、熱心に探索が進められていた火星と木星の間の広大な空間で、「失われた惑星」の占めるべき位置に存在したのである。その後、次々に同様の天体が発見されるが、やはりそれらは火星と木星の空間を埋める天体であった。しかし、やがて火星や地球軌道を横切る特異小惑星、木星軌道上のトロヤ群天体、そしてカイパーベルト天体と、その存在は水星から冥王星を越えて、太陽系全体に広がってしまった。昨年も美星における大きなNEOの発見(次ページ参照)を含めて、非常に多くの、かつさまざまな軌道を持つ小惑星がカタログに名前を連ねることになった。特に、11月28日、キットピークのスペースウォッチ望遠鏡でマクミランさん(昨年3月にツアーに参加された方は、望遠鏡の説明をしてくれたので、憶えておられると思う)の発見した小惑星「2000 WR106」は、冥王星の少し外側の円軌道にあり、まだアルベドの推定が定かでないが、セレスに匹敵する1000kmにおよぶ直径の可能性もある、ひさびさの巨大天体の発見である。

 そして地球に将来接近、衝突の恐れのある天体や、地球にニアミスした天体のニュースが昨年も新聞を賑わした。しかし、最近そのような天体が急に増えたという理由は特に見あたらないので、このような地球周囲の天体環境は営々と続いてきたと考えられる。したがってそう簡単に天体衝突が起こることはあり得ないと考えていい。それよりも、最近の観測体制の充実が、地球はそれほど安全な空間を飛行しているわけではない、という現実を明確にしていると考えるべきであろう。ニアミス天体のニュースは今年も多くなると思われる。しかし、そのようなニュースにあまり一喜一憂する必要はない。それよりもデータの蓄積を冷静に見据えて、宇宙船地球号の軌道が置かれた環境を正確に把握していくことが大切ではないだろうか。

 話しは少し変わるが、生物種の寿命というものの統計表をある書物(四方哲也著「眠れる遺伝子進化論」、講談社刊)で見つけた。そのグラフをもとに概算してみると、これまでに滅んだ生物種の寿命は1000万年以下が最も多く、全体の約40%を占める。全体の約65%は2000万年以下で滅び、85%は5000万年以下で絶滅している。ところで、地上生物の大絶滅を誘起させるような天体衝突が例えば一億年に一度程度起きるものとする。ホモサピエンスの寿命がどの程度か定かでないが、少々欲張って2000万年以下だとする。もしそうだとすると、6500万年前にユカタン半島に落ちたような巨大隕石が、再び地球を襲う日まで、生き延びられるだろうか。何とか生き延びたいものである、いや生き延びなくてはならない。そうすれば、その後数千万年、あるいは数億年して現れるかも知れない次の知的生物が、かつて繁栄を誇った人類を滅亡させた天体衝突として、熱く語ってくれるに違いないからである。
      (エッセイ 由紀 聡平、 イメージ JONA)