クレーター探しの夢-2

真弓 昌三(栃木県西那須野町)



 内浦湾が噴火湾とも呼ばれるゆえんは、19世紀に訪れた外国船の船長が、当時は噴火を繰り返していた湾の周囲の有珠山、駒ヶ岳、恵山などの火山を見て名付けたもので、湾そのものが大規模な噴火口の形をしているから、というわけではない。内浦湾がカルデラであるということは、完全に否定されているようである。もし、カルデラであるとすると、その陥没量に見合うだけの噴出物が放出されたはずで、たとえば今から2万2千年前の巨大噴火の後にできたとされる姶良カルデラの場合には、約100立方キロの噴出物が放出され、火山灰ははるか東北北部にまで達したといわれている。内浦湾の場合にはそのような噴出物のたい積とか火砕流のこん跡は周囲には存在していないそうである。
 内浦湾がカルデラでないとすると、どうしてこのような地形ができたのであろうか。日本列島全体の地図を見回しても、火山作用以外の地形で内浦湾のような地形は他に見当たらないように思われる。プレート・テクトニクスの理論で内浦湾の成因が明快に説明ができるのであろうか。内浦湾が隕石孔であるとするのは、しろうとのばかげた空想なのであろうか。専門家にとっては、そのようなことは研究し尽くされた上、否定されていることなのであろうか。
 内浦湾は直径がほぼ60km、平均水深は約60m、最深部で約100mあるが、これはあくまでも海水面を基準とするもので、外輪山のように連なって湾の周囲を取り巻く高さが1000m前後の山々を考慮すると、クレーターとしては直径は約80km、深さ約1kmに相当する。このサイズは月のクレーターでいえば、ガッサンディ(89km)やティコ(84km)などに匹敵する。地球上ではカナダのマニコーガン・クレーター(100km)、オーストラリアのアクラマン・クレーター(90km)などの隕石衝突起源とされるクレーターがある。このようなサイズのクレターは、直径がその20分の1、つまり内浦湾にあてはめれば、4kmほどの隕石が衝突するとできるといわれている。

 夢を正夢にするには、それなりの根拠が必要である。隕石孔であることの証明はどうすればよいのであろうか。上記のカルデラでないことの証明も1つの証明になりうると思われる。とりあえず考えられることは、重力異常の調査、ボーリング、フィールド調査による隕石衝突の際の生成物の発見、などである。
地球上の隕石衝突クレーターの中には重力測定の過程で見つかったものもあるが、カルデラでも重力異常は認められていて、隕石孔であることの決め手にはなりえない。また、重力測定そのものが地下資源の調査などの、別の目的で行われることが多く、クレーター探しだけのための測定はむずかしいかもしれない。ボーリングについても、湾の周辺の地下あるいは海底をボーリングする必要があるが、重力測定と同様な難題が待ち受ける。

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メテオ・クレーターの空撮写真
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メテオ・クレーターの内壁

 有力な決め手になるのは、やはり隕石衝突生成物を発見することであろう。もっとも確かなのは、衝突時の超高圧でつくられた円錐形の奇妙な割れ目を持つシャッター・コーンや、破砕した岩に含まれる鉱物で認められるラメラ構造であるといわれている。また、衝撃で溶けた隕石や岩石が固まってできたガラスであるテクタイトも、隕石の衝突によってしか形成されないといわれている。
 シャッター・コーンは"衝突の化石"といわれるほどで、火山起源によるものは見つかっていないそうである。私もその実物がどんなものであるかを見たくて、某旅行会社が企画したアメリカ南西部を巡る天文関係のツアーに参加し、アリゾナ州のメテオ・クレーターを訪れた。まず、隕石孔のリムに立って内壁のめくれ上がった地層を目の当たりにして、衝突の衝撃のすさまじさを実感できた。ビジター・センターに入ってみると、メテオ・クレーターに関するさまざまな資料が展示されていて、10cmほどの白っぽい色をした数個のシャッター・コーンや、超高温高圧で変成を受けた岩石のサンプルに対面することができた。


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ビジターセンターに展示された編制を受けた岩石
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ビジターセンターに展示されたシャッター・コーン

 ただし、これらの衝突化石が見つかるのは、クレーターの底の衝撃を受けた部分の内部に限られ、内浦湾で見つけようと思ったら、海底から掘り出す必要がありそうである。メテオ・クレーターでは、クレーターの外側に転がっていた岩石でも見つかっているので、運がよければ内浦湾周辺のフィールド調査で見つかるかもしれない。問題は、たとえば直径が100kmもあるマニコーガン・クレーターでは、衝撃圧が強すぎるため岩石は溶けて溶融ガラスとなり、それがたい積して火山岩と間違えられたとのことである。サイズが近い内浦湾でもそのような状態が発生したかもしれず、そうなれば衝突化石を見つけるのは非常に困難であろう。

 内浦湾が隕石孔であるとすると、最大の難題はそれがいつできたかということと、そのときから経過した時間から推定される状況と、現状との整合性が、はたしてうまく説明できるかどうかである。クレーターの年代は、直接的にはインパクタイトが見つかれば、同位体年代測定が可能であり、間接的には飛散した破片が挟まれている、地層の年代から推定できるとのことである。内浦湾の場合には、そうしたものが見つかるのであろうか。直径1.7kmの隕石が衝突すると、地球全体のカタストロフィーが起こるとされている。仮に直径4kmの隕石が衝突したとすると、6500万年前に恐竜が絶滅したとされる衝突ほどではないにしても、そのインパクトは計り知れないものになると思われる。そのようなインパクトのこん跡は、おそらく地球規模で広がったに違いない。それを追跡しようとするとなると、なにやら空恐ろしい気がしてくる。

 今では日本でも、四国の高松クレーターや、奄美大島の奄美クレーターが隕石衝突によるものではないかともいわれ、さまざまな科学的調査が行われて、隕石起源か火山起源かで、研究者の間でさかんに議論が行われているようである。内浦湾隕石孔説が証明されうるのか、あるいはすでに否定されている、もしくはこれから否定されるのか、という議論はさておいて、クレーター探しは私の少年時代からの夢でであった。夢が夢で終わったとしても、そのような夢を抱いたお蔭で、現在に至るまで、月、隕石、小惑星、さらには火山などに関する本を集めて、それらを読みながらあれこれと想像したり、実地で見聞を広める楽しさを、大いに味わうことができた。

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有珠残の中腹から見下ろした内浦湾の一部
 昨年春に北海道へ行く機会があり、ついでにロープウェイで雪がふり積もった有珠山の中腹まで登った。そこから見下ろした内浦湾は平穏で波静かで、どのような激変の末に現在の姿になったのかは、うかがい知るすべもなかった。しかし、それからちょうど1週間後に始まった思いがけない噴火は、有珠山が内浦湾とそれを取り巻く山々を代表して、この地域では地形が形成されるにあたって、まぎれもなく火山活動が圧倒的な支配力を持つことを、まざまざと見せつけたものなのかもしれない。

[編集室註]真弓さんは、昨年JSGAが読売新聞社、ブリティッシュカウンシルと共催した「国際小惑星監視プロジェクト」に参加され、優秀な成績で表彰を受けました。(あすてろいど33号、21頁をご覧下さい。)