月刊コートダジュール(4月号)

    空港のお寿司と自家製ジェノベーゼ

       2024年4月29日 紅山 仁 (コートダジュール天文台)


 搭乗する便の出発時刻まであと数時間。にも関わらず引越し準備が終わっておらず随分と焦っていた。荷物を一つ一つ取捨選択していた前日までが嘘のように、何も考えず全て段ボールに詰め込んで家の前にある宅配便の営業所に駆け込む。実家に最後の段ボールを送り終えたのは渡航日の昼過ぎだった。一年間の海外滞在前とは思えないほどぎりぎりなタイムスケジュールでなんとか準備を終え、この家に越してきた時も同じだった、人間数年では変わらないものだなと自身の行動を正当化する。思い入れの詰まった家と名残惜しい別れをする暇もなく、調布駅から羽田空港へ向かうバスに駆け込んだ。

 思い返すとこの数ヶ月、ずっと時間に追われていた。博士論文審査会、長期滞在ビザの申請、家の片付け、ニースの家探し、そして来年以降の職探し。春は観測提案の季節でもある。興味深い小惑星を一つでも多く観測するために、半年に一度の提案提案の時期を逃すわけにはいかない。何足もの草鞋を履き崩してなんとか空港に辿り着いた。

 空港では人生で初めて値段を気にせずに回らないお寿司を食べた。数時間後に飛行機で飲めるからとお酒を控えたにも関わらず、お会計は二人で合計一万円。十貫ほどしか食べていないので、回転寿司が一皿二貫で百円ならその十倍ということになる。日本近辺でとれた魚は当分食べられないであろうし、海外の物価は高いのでお買い得と自分に言い聞かせる。預け荷物を中くらいのキャリーバッグに詰め込み、機内に持ち込む荷物をリュックサック二つにまとめる。一年の出張にしては荷物が少ないかもしれないと今さら不安になる。一回目の機内食を食べた後、深夜便、満腹感、アルコールが相まってか到着までずっと眠っていた。飛行機で機内食そっちのけで眠ったのは初めてのことだった。

 ドバイでのトランジットを含む20時間の旅を終え、一年間お世話になる南仏ニースに到着した。預け荷物を待ちながら、二年前に最後まで自分の荷物が流れてこなかったことを思い出す。後から家に送ってくれるから荷物が減ってむしろありがたいと思っていたこともあるが、今の自分の全所持品の半分以上が詰まったキャリーバッグが紛失でもしてしまったら随分と困ったことになる。幸い無事に出てきたキャリーバッグとともに税関を通過し、迎えにきてくれたマルコを見つけた。マルコ・デルボ。彼がニースでの受入研究者である。声をかけると笑顔でHow are you? と挨拶が返ってくる。How are you ?にはなんて返せばいいのだったかと困っている自分をよそめに、前日まで天気はあまりよくなかったが今日は快晴だ、君の到着をニース全体が祝福してくれている、と得意のイタリアンジョークで迎え入れてくれる。このセリフで何人魅了してきたのだろうかと考えながら、この人となら上手くやっていけそうだなと自身もその一人であることに気づく。長旅に疲れている私を気遣って、マルコが夜ご飯にジェノベーゼ、サラダ、赤ワインを振る舞ってくれた。サラダはオリーブオイルと塩でしっかりと味付けされておりシンプルながら美味しかった。かくして任期一年間のポスドクとしての、人生初めての海外生活が幕を開けた。

 

写真1 空港に迎えにきてくれたマルコの車からみたニースのビーチと青空(通称ニースブルー)