月刊コートダジュール(5月号)

   映画祭とフォーミュラレース 

       2024年5月31日 紅山 仁 (コートダジュール天文台)


 2024年もニースのシーズンがやってきた。市内ではキャリーバッグを持つ観光客の数が増え、ニースを含むコートダジュールが賑わいを見せる長い観光シーズンが始まったようだ。5月から9月頃までのほぼ半年間がニースの旬とのこと。旬というと多くても全体の10%くらいという感覚は南仏では通用しないらしい。今年の5月は例年に比べて曇りの日が多かったようで、摂氏15度を下回る肌寒い日も少なくなかったが、晴れた日には海で泳いでいる人がいる。ビーチに隣接したバレーコートでは日が沈むぎりぎりまで絶えずビーチバレーの試合が行われているらしく、通りがかりの観光客を巻き込んで盛り上がりを見せている。天気がぐずついている日でさえ、海辺には日光浴しながら談笑していたり、居眠りしている人さえもいる。ニースが平和な街と聞いていたが、まさか公共の場で居眠りできるほどとは思っていなかった。とはいえ、同僚曰くシーズンの間はスリの発生率が高くなるようなので、これからは気を引き締めなければいけない。

 5月のコートダジュールはカンヌで行われる国際映画祭や隣国モナコで行われるフォーミュラレース(F1およびF2)モナコグランプリと、世界的に有名なイベントが目白押しである。浮かれた観光客気分は滞在二ヶ月目ではまだ抜けていない。同僚にこれらのイベントの雰囲気を聞いてみるも、行ったことのある人は少数であった。招待されていないのにあえて人混みのシーズンにカンヌに行く理由がない、一番安い席のチケットですら高いのにモナコに行って車を見る理由がない、とサバサバしている。仙台の地元民が滅多に牛タンを食さないのと同様に、外から来た人の方が現地の物事に興味があるというのは世界共通であると感じた。とはいえ、東京の人混みに比べればましだろうと高を括り、休日に少し早起きして駅へ向かった。

 二ヶ月ニースで過ごして、バスは遅れることを学んだので、発車時刻に間に合うように電車の駅に着いたら、電車は予定通りの時間に出発し、見送る羽目になった。まだまだ経験則をつかめていない。研究を始めて間もない頃を思い出すようで、時間を無駄にしたような気がするけれど、毎日新しく知ることが多くて、一つ一つが生活の糧になっているような気がする。ニースに来てからの研究活動も同様だ。私は大学院時代に日本国内の光学望遠鏡を使い地球に接近する軌道をもつ小惑星の観測を行い、博士論文にまとめた。ニースでは研究対象はおおよそそのままに、研究手法を変えて、中間赤外線観測データから小惑星の表面の様子を推定する研究を開始した。最初のひと月は新しく学ぶ概念が多く、たくさんの論文を読んで勉強する時間となった。ようやく慣れてきた大学院時代の研究テーマのようにテンポ良く進まないことがもどかしく感じることがありつつも、新しいことを吸収している感覚は言葉にできない気持ちよさがある。少し話が逸れたが、ニースではバスは遅れがちでも電車はそこまで悪くない、これが今月の学びである。

肝心のカンヌの映画祭、モナコのカーレースはというと、ともに魅力的なイベントであった。カンヌで賞を受賞した有名人に会うことはできなかったし、モナコで席に座って優雅にレースを見ることもできなかった。それでもそれぞれ招待されていない窮屈さ、有料席を持たない後ろめたさをほとんど感じることなく楽しむことができた。カンヌでは観光客向けのレッドカーペットを踏むこともできたし、モナコではレース中の車から放たれる轟音を肌で感じることができた。何よりもイベントを終えて電車に乗ってニースに帰ってきて、実家に帰ってきたかのような温もりを感じた。日本と比べて数倍の物価や硬水でぱさつく髪にはまだまだ慣れないものの、自分の体が無自覚にニースに愛着を感じていることを驚きつつも嬉しく思った。 

 

写真1. カンヌ映画祭のレッドカーペット。関係者以外は中に入ることはできず、テレビの映像やウェブ上の写真と変わりない光景を拝むにとどまった。今年のカンヌ映画祭期間にカンヌの地で映画監督になることを公表した日本のコメディアンと偶然お話しできたことはここだけの自慢である。

 

写真2. モナコを疾走する車。少しでも良い条件で車を拝むために市内を歩き回るという貴重な人生経験をすることができた。(F1 に詳しい編集部注:おそらくミラボーコーナー手前付近。ヘルメット上部についているT字カメラが蛍光黄色だからルイス・ハミルトン選手です。)