2024年10月4日 紅山 仁 (コートダジュール天文台)
8月31日、4月に渡仏してから5ヶ月間滞在していた仮住まいから、長期滞在可能なアパートへ引越した。引越しといっても、どちらもニース市内、移動距離はわずか1.5 kmである。トラム沿線にある建物間の移動なので、数時間かけて2往復するだけの簡単な引越しであった。引越し自体は問題なく終わったが、家探しには苦労した。私は大家さんが住居人を募るウェブサイトを利用してアパートを探した。ネットオークションやフリーマーケットサイトと同様に、ユーザが指定した条件を満たす商品 (アパート以外に家具や車などもある) を一覧で確認することができる便利なサービスである。アパートを見つけたらメッセージを送り、必要書類を提出し、内見の日程を調整するというのが一般的な流れである。
日本ではこのような方法で探したことがなく最初は戸惑った。実際、返ってきたメールの中には、言葉巧みに内見の前にお金を請求してくるものもあった。私が面倒くさがりな性格であることに加え、フランスのマイペースな文化にも慣れてしまったこともあって、仮住まいの退去の3週間前に家探しを始めた。すぐにニースでの家探しが予想以上に困難であることに気付かされ、家を見つけられなければ野宿せざるを得ないかもしれないという不安を抱えていた。そんな状況下で不審な請求があったため、危うくお金を振り込む寸前だった。同僚に相談してその取引が怪しいことが判明し、無事に交渉を打ち切ることができた。その後は慎重になりつつ数十件の物件の大家さんにメッセージを送ってみたが、多くは内見に辿り着かないお祈りメールとなって返ってきた。原因の一つは、フランス政府の手続きがマイペースなことであると考える。家の手続きに際して多くの大家さんが求める書類の一つが VISA や滞在許可証などの法的に滞在が許可されているという証である。あいにく、家を探していた期間に VISA も滞在許可証を持ち合わせておらず、メール一つで門前払いにさせることが多かったのだ。他にもフランス語を話せないこと、フランスで雇用されていないことなども少なからず家探しのハンデキャップとなり、これでもかというくらいうまくいかなかった。それでも諦めず毎日更新されるウェブサイトに張り付き、候補となる物件を見つけては定型文を送り続けた。状況を理解してくれる寛大な大家さんの物件にサインをしたのは、仮住まいの退去当日であった。
フランスにエアコンがないという噂は渡仏前から耳にしていた。ただ、フランス滞在経験者の「フランスはエアコンがなくて辛かった。」という感想を聞くたびに、内心では何を大袈裟に言っているのかと感じていた。エアコンが整備された日本で育ったことで、エアコンがない環境に適応できなくなってしまっただけで、少し経てば慣れるだろうと高を括っていた。しかし経験者たちの意見は正しかった。率直に言うと、エアコンがない生活は耐え難いほどに暑かった。勤務先であるコートダジュール天文台の居室、天文台の食堂、そして滞在中のアパートのどこにもエアコンがない。受入教員のマルコや新しい同僚との研究の楽しさとエアコンのない苦しさの大きさを天秤にかけるなら、ロシアワールドカップの日本対ベルギー戦くらい良い勝負をしている。熱中症になるほど辛いことは少ないが、部屋にエアコンがないため眠りの質は低下し、寝不足になり、日中の集中力が低下するという悪循環に陥った。
大きな懸念であった引越しを無事に終えることができ、さらに滞在許可証の申請から待つこと5ヶ月(!)、無事に滞在が許可された。渡仏時の仮の VISA の有効期限は3ヶ月であったので、VISA の期限が切れた後の2ヶ月間の身分がどういう状況であったのかは判然としない。フランスの手続きの遅さには驚かされるばかりではあるが、同時に日本の良さを実感する機会にもなった。ともあれ、野宿することなく引っ越しを終えられ、強制帰還することなく滞在が許可され、振り返ってみると大きな問題は何一つ生じていない。もちろん引越しが終わった後に様々な生活基盤の手続きがあるのは全世界共通である。幸い、水、お湯、電気は(今のところ)問題なく使えているが、引っ越して1月経ってもインターネット回線はまだ開通していない。彼らの手続きにはもう期待せず、家ではインターネットを使わずに生活し、早寝早起きして天文台へ通勤するという生活リズムに切り替えた。年度後半はよりストレスフリーな半年になることを、期待せずに祈っている。
写真1.引っ越し先の近所。遠くから見ると雰囲気があるが、近くでみると清潔感がない。
写真2.美しいニースの朝焼け。インターネットの開通が遅いことで生活リズムが朝方になり、朝焼けを見ることが日課になった。