2024年11月5日 紅山 仁 (コートダジュール天文台)
今月のニースは雨が多かった。10日以上は天気が芳しくなかったように思う。ニースに長く住む同僚も、例年の秋は夏ほど晴れないが、ここまで雨が降るのは珍しいと驚いていた。夏には喉から手が出るほど欲していた曇り空が、楽しみにしていた10月になってやってくるとは。何を楽しみにしていたかというと、10月中旬に観測の好機を迎えた彗星である。
2023年に中国の紫金山天文台と南アフリカの ATLAS により発見された彗星C/2023 A3 (Tsuchinshan-ATLAS)が発見から1年半以上を経て、肉眼でも見える彗星になるかもしれないという期待を背負ってやってきた。2024年9月に近日点を通過し、10月に中旬ごろには北半球で夕方に観測できる。私は彗星の専門家ではないが、2013年に崩壊した彗星C/2012 S1(ISON) 彗星のニュース報道は覚えており、彗星の明るさ予測が難しいという事実だけは認識していた。ニースの明るい街中での観測に加えて悪天候となったため、観測できる可能性は極めて低いだろうと思い、ハードルが下がっていた。それでもある日コインランドリーで洗濯している待ち時間に、ふと東の空が晴れていることに気がついた。どうせすることもないので、見晴らしの良いビーチに向かうことにした。ハードルを下げに下げていたこともあり、ビーチで晴れている空を見ただけでも心が躍った。徒歩圏内はどこも明るいので、どうせならニースらしい場所にしようと、海岸沿いの遊歩道プロムナード・デ・ザングレ (イギリス人の遊歩道) を観測場所と決めた。
普段の望遠鏡観測を思い出しつつ、NASA JPL の天体暦を片手に10分ほど東の空を見つめたが、ついには肉眼では彗星を確認できなかった。そもそも何を基準に天球上の彗星の位置を求めれば良いのかという段階で頭を抱えた。これまで研究に使ってきた望遠鏡がボタン一つで観測対象を追尾してくれるありがたみを、まさかニースの海岸で再認識するとは思わなかった。それでもまだ晴れていたので、スマートフォンを適当に東の空に向けて露光してみる。すると、画面の端に微かに伸びている像を捉えることができた! これが研究も含めて初の彗星の観測となった。ニースの海岸は夜まで賑わっているものの、彗星を観測している人は見つからず、誰とも喜びを共有できなかったのが唯一の心残りであった。そんな中、プロムナードを散歩中の子犬が近くにやってきて撮影を邪魔してきた。彗星を導入し始めて間もなかったので困ってしまったが、彗星を眺めるや否やおとなしくなったことが印象的だった。良い写真が撮れたので、お礼に彗星と子犬のツーショット写真を飼い主に送って撮影を終えた。
今月中旬にはニースの研究者らと取り組んだ研究成果が論文として出版された。地球に似た軌道にある直径30 m 程度の小型の地球接近小惑星2001 QJ 142の物理特性を推定した研究である。論文では岡山県のせいめい望遠鏡、ハワイのすばる望遠鏡、さらにスピッツァー宇宙望遠鏡の観測結果を合わせて議論を進めた。自ら足を運んだ岡山での観測では天候不順のため、予定の50%ほどしかデータが得られず、半年前に渡仏する際、論文化は難しいと考えていた。しかしコートダジュール天文台の同僚アレクレイ・セルゲエフらの助けを借りて過去のデータを発掘し、一人では到底辿り着かなかったであろう議論を展開することができた。将来の探査ミッションをするにはまだまだ未知の物理特性が多い天体ではあるが、将来の探査先を検討する上で有用な情報を得られたと思っている。改めて、コートダジュール天文台が太陽系小天体の研究を進めるにはこの上ない環境であると感じた、10月であった。
写真1. 2024年10月18日20:11 (枠内)、20:20 (全体) にスマートフォンで撮影した C/2023 A3 (Tsuchinshan-ATLAS)。撮影場所はニースのプロムナード沿い、ホテル Le Negresco 付近。(写真2を参照)
写真2.彗星観測地点の付近にあるニースの超高級ホテル Le Negresco。JAXA吉川真氏の 「ニース天文台の12カ月 -第5回-ニースで最高のレストラン」 によると、吉川さんの滞在時にはホテル内にあるレストラン Le Chantecler のコース料理は10,000円ほどだったようだが、2024年時点のコース料金は35,000円 (5品) または45,000円 (8品) である。他方コートダジュール天文台の昼食の値段はほとんど当時のままである。