月刊コートダジュール(2月号)

   初めての一時帰国とニースでの再出発

       2025年3月9日 紅山 仁 (コートダジュール天文台)


待ちに待った日がやってきた。2024年4月に渡仏してから実に9ヶ月ぶりの一時帰国である。一時帰国というとなんといっても食が楽しみである。安くて美味しい日本のご飯を思い出すだけでワクワクする。私が一時帰国を心待ちにする一方で、ウクライナハルキウ出身の同僚アレクレイから2022年2月以降帰省をしていないことを知らされた。一度帰るとフランスには出国できないからである。ニース?東京間の長距離移動に音を上げそうになっていた自分がなんと小さく思えたことか。渡仏時と同様、出国当日にパッキングを終え、ニース空港へと向かった。

初めての一時帰国は1月下旬から2月上旬の3週間だった。公私ともにさまざまな予定がある中で、主目的の一つは契約の切り替えに関する手続きであった。昨年渡仏した時点で、私のポスドクの任期は残り一年だったため、多くの任期付き研究者と同様に、受入教員のマルコとの研究を進めながら並行して次のポストを探していた。渡仏する一年前に博士課程指導教員から「任期一年間は短く不安定なので、博士論文の準備を進めつつ、より長期のポストを探した方が良い。」と言われたが、自らの戦略と銘打って、任期一年での渡仏を決めた。渡仏して就職活動を始めてからすぐに不採択の通知をもらった際に、次の就職先が見つからないのではないかという不安に駆られ、指導教員の助言に従っておくべきだったと後悔した。かくして宙ぶらりんな状態になったが、幸い応募した一つの採用内定をいただき、ニースでのポスドクの任期が2年伸びた。なんとかコートダジュール天文台での滞在を延長し、引き続きマルコらとの研究を継続できることになった。マルコ以外の同僚らとの研究もまとめることを考えると、一年のみの滞在では随分ともの足りなかったであろう。この契約変更に際して、一時帰国中に日本の所属機関の居室の整理、事務書類の提出などをした。私の研究費の使用などに柔軟かつ迅速に対応してくださった事務員さんたちには頭が上がらない。フランスの事務手続きの遅さに慣れた今となっては尚更、毎日メールの返信があることのありがたさを身をもって学んだ。

1月下旬の東京はよく晴れていた。ニースよりも日が長く、丈夫かつ暖房が完備された建物で快適に過ごした。2月になると一転して東京に寒波がやってきた。寒波を逃れるようにニースへ戻った。飛行機の中で10ヶ月前に渡仏して以降のことを振り返り、今更ながら渡仏時の自分はあまりにも無知であったことに気づく。滞在許可証を取得するまでに時間がかかり出張をキャンセルせざるを得なくなる可能性、インターネットが手に入らず家でオフラインになること、ただフランスに住んでいるだけではフランス語を話せるようにはならないこと、海岸に行き夕陽を眺める週末がこんなにも気持ち良いこと。20時間のフライトを経てニースに到着すると、10ヶ月前と同じく澄み渡る青空が広がっていた。このニースブルーがあれば、思い通りにいかないことも受け入れ、むしろ良い経験にさえ思えてくる。コートダジュール天文台でマルコと再会し、フランス流のビズーをして、ニースでの研究生活をリスタートした。

 

東京都内にある薪火料理の店「Maruta」の食材。暖炉の薪火で焼いた地元の食材を美味しくいただいた。忘れ難い一日となった。

 

写真2. コートダジュール天文台の夕焼けと筆者。およそ一年間ニースで過ごした結果、天気が良いだけで幸福感を感じられることがわかった。